「名言との対話」1月20日。横山又次郎「恐竜。始祖鳥。菊石」
横山 又次郎(よこやま またじろう、万延元年4月25日(1860年6月14日) - 昭和17年(1942年)1月20日)は、日本の古生物学者。
長崎県出身。長崎の英語学校を経て、1878年に東京大学予備門(後の第一高等学校)を第1回生として卒業、1882年、東京大学理学部地質学科を卒業した。地質調査所に入り、ナウマンを助けて地質調査事業の基礎をつくった。1886~1889年ドイツのミュンヘン大学に留学し、古生物学を学ぶ。
帰国して帝国大学理科大学教授となり、古生物学を講義した。初め、白亜紀、ジュラ紀の動物化石、植物化石の研究を行ったが、後に日本の第三紀の貝化石について研究し網羅的記載を行って、学問的に大きな遺産を残した。『前世界史』などの著述によって地質学の日本への導入に努めた。(以上、日本大百科全書などから)
横山又次郎は「恐竜」を日本に初めて紹介した人物である。もともとの訳は「恐龍」だった。横山は「始祖鳥」、「菊石」の学術語をつくった。貝化石の多くの学名にも「ヨコヤマ」の名がついている。化石研究の基礎を築いた学者である。
さて、恐竜だ。「福井県立恐竜博物館」によると、絶滅した大型爬虫類の存在が知られていたが、それらはどの動物とも異なったものであった。「恐ろしいほどに大きい」という意味の「deinos」と、「トカゲ」を意味する「sauros」を合わせてつくった造語である。「恐蜥」「恐蜴」(蜥蜴とかげから)などの用語が提案されたが、最終的に大型の爬虫類=龍のイメージで「恐龍」が定着し、字体も簡単になった現在の「恐竜」となった。
次に、始祖鳥。恐竜の一種で、初めて空を飛んだということで、始祖鳥と命名された。樹上や崖の上から滑降したときに翼を使ったという説が妥当とされている。自力による飛翔ではなくグライダーのような飛び方だったようである。鳥類の始祖である。
菊石。これも絶滅動物の一種で、螺旋状に巻いた殻が角を連想させて古代エジプトの太陽神で雄羊の頭をもつアモンに由来し、アンモナイトと呼ばれている。
横山又次郎は日本の化石研究の基礎を築いたが、その成果は「恐竜」「始祖鳥」「菊石」などの人口に膾炙した命名者として名前を残している。このような分野にも始祖は存在する。横山を化石研究の始祖として近代を牽引した人として記憶しておこう。