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#音楽シーン
Buck-Tick(バクチク) 〜 80年代〜現代の日本ロックシーンを支えたバンドたちVol.2 ~ ゴシックロック、ヴィジュアルの原型
90年代ビジュアルの元祖・原型Buck-Tickというバンドに出会ったのは、音楽ライフの初期のころ。 ロックを聴きはじめた頃に、深夜の音楽番組で「悪の華」という彼らを代表する曲のPVが流れてきました。そのとき「ああ、こんなのがあるんだ!」と思ったんです。それまでは、明るく、ポップなロックが日本の主流だと思っていましたので。ボウイ、ブルーハーツとは違うダークな怪しさに惹かれていたのでしょうかね。 そして、このバンドのことを知りたくなり、そのままアルバムを購入したのが聞き始め
80年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.3、~ 瞬間風速的なバンドブームが生んだもの
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80年代の日本の経済状況:一極集中80年代は、日本がどんどん豊かになっていった時期。そして、都市部、特に東京への一極集中も盛んになっていった時期。 時間軸の長い話をすると、この時、1980年代に起きた東京への一極集中という状況が、30年~40年たった現在(2010年~2020年)、地方の衰退、地方の町村の限界集落化につながっていると考えることができます。 また少しサイクルを短くして20年~30年スパン(2000年~2010年)で見てみると、10年時をさかのぼっても変わらず
90年代の日本ロックシーンを辿る旅 Ver.2 ~ ビジュアル・ショック ~ X JAPAN、BUCK-TICK、GLAY、etc
ビジュアル系90年代の日本ロックシーンその2は、いわゆるビジュアル系。 ※その1はこちら ビジュアル系という言葉で括ってしまうのは良くないのです。が、わかりやすいのと、用語として定着しているので、今回はこのテーマを取り上げてみます。 一言でいうと、音楽の内容ではなく、見た目での区分です。 さらに、わかりやすく言えば、X JAPANを始祖とする系譜です(以下、X。当時はXだったのでこちらの方がなじみ良く。。) Xにもファッション的なルーツ(系譜)があったわけで、そのあた
【再掲】90年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.1 / バンドブームが去った後には、、 / ユニコーン、B'z
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日本の90年代も喪失から始まった 90年代に入るころ、日本ロックシーンからは、ボウイ、レベッカ、RCサクセションという伝説が、「灰と蜃気楼の彼方」に去っていきました。 また、レベッカの初期メンバーだった、小暮氏が結成した「レッドウォーリアーズ」もレベッカに歩調を合わせるかのように終焉。 山口県出身のKATZEも、新しい90年代を見たいという言葉を残して解散。 日本の90年代も、世界の音楽シーン同様、喪失から始まったのです。 バンドブームそして彼が去った後、彼らを愛して
【再掲】80年代の日本ロックシーンを辿る旅ver.2 / ジギー、X 、ブルーハーツ、、欧米のパンク、ロック、ハードロック&ヘヴィメタルの日本独自解釈
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海外の音を日本風にアレンジ 日本のロックやポップスは、基本的に海外の流行を取り入れて、そこに日本独自のエッセンスをまぶして発展してきています。 これは、インターネットが無い時代の特性とも言えるような気がしています。 当時は、ラジオを聴くか、雑誌を買うか、海外ならば、海外在住者からの情報で情報を入手するほかはなく。 さて、この中で、今回は、80年代に特筆すべきバンドが生まれていったパンクロック、ハードロック&ヘヴィメタル由来のアーチストを取り上げてみようと思います。 ハ
60年代の音楽シーンを辿る旅 Vol.4 〜 70年代へのロックの進化を象徴するザ・ビートルズ、多文化・多様性との出会い
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エド・サリバン・ショービートルズが「Love Me Do」でデビューしたのが1962年10月のこと。1stアルバムは1963年4月発売(英国)。 この頃は、本国版とマーケティングの先であったアメリカ版ではジャケットや曲構成が異なっています。「ラバーソウル」というアルバムあたりまではこの慣例に従ってました。なので、米国盤は希少性があり、マニアが探し求めているようです。 さて、このビートルズというバンドが初めてアメリカのメディアに流れたのは1963年の11月18日だそうです。
【再掲】60年代の音楽シーンを辿る旅 Vol.5 〜 ジミ・ヘンドリクスによる音楽の創造とビートルズの終焉
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Star Spangled Banner1969年8月。 伝説的なギタリストが伝説的な演奏をした日。 歪みまくったアメリカ国歌。これは、米軍の北ベトナム爆撃への意見表明だったようです。この曲が奏でられたのが、あの「ウッドストック・フェスティバル」です。平和の祭典とも言われていたフェスです。 ジョン・レノンのラブ&ピースや、このフェスの俗称など、音楽に合わせて愛と平和が語られ始めていたのが60年代後半の世相でした。 この世相は67年ごろから自然発生的に始まっていたサマー・
ロックンロールは一人の青年が母親を想う気持ちから生まれた ~ エルヴィス・プレスリー 【再掲】60年代の音楽シーンを辿る旅Vol.1
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1953年1953年。ある夏の日の出来事。 ある青年が自分の母へのプレゼントに自分の歌を吹き込んだレコードを贈ろうと思い立ち、メンフィスという街の、とあるスタジオを訪れる。 彼はメンフィスの電気会社に勤める青年。ハイスクールで賞を勝ち取るなど歌が得意だった彼は、その夏に元気がない大切な母親のことを気にしていた。彼が働きに出たことで一人息子と過ごす時間が短くなったこともその遠因だっただろう。 「そうだ、僕の歌をママにプレゼントしよう。仕事で家を留守にしている間も僕の歌声を聞
レベッカ ~ 80年代末に失われた伝説(3) 〜 80・90年代日本音楽史「拾遺」Vol.4
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女性フロントマンの先駆けとなったバンド、レベッカこのグループの特徴は、なんといってもNOKKOの存在でしょう。これほど個性的で魅力的なバンドのフロントマンは、日本のロックシーンでは稀有とも言えますね。(ロックバンドのフロントマンでいうと、、、矢沢永吉、忌野清志郎、氷室京介、甲本ヒロト、、イエローモンキーの吉井和哉、、とかでしょうか) NOKKOという稀有な存在 これについては、いくつかの側面で語ることができます。 ・歌詞 彼女の歌詞は、幼少期からの日常生活の匂いがそこかし