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個読の楽しみ―誤読の楽しみ
読みの楽しみは誤読にある。
人は一生、誤読を続ける。
自分がどう読むかは自由だ。
どう味わうかはもっと自由だ。
個読には誤読の自由がある。
誤読に気付いて直す自由もあり、直さない自由もある。
それが楽しい。
それを私は「個読の楽しみ」と呼ぶ。
万人にとって正しい解釈なんてありえない。
憲法第9条をどう読むかなんて、国を挙げて誤読に狂奔している。私はそれを、戦力の完全放棄、と、誤読している。
読みの楽しみは誤読にある。
人は一生、誤読を続ける。
自分がどう読むかは自由だ。
どう味わうかはもっと自由だ。
個読には誤読の自由がある。
誤読に気付いて直す自由もあり、直さない自由もある。
それが楽しい。
それを私は「個読の楽しみ」と呼ぶ。
万人にとって正しい解釈なんてありえない。
憲法第9条をどう読むかなんて、国を挙げて誤読に狂奔している。私はそれを、戦力の完全放棄、と、誤読している。