板書も進行も計画通りの見事な授業!
授業計画をみっちり立てて、計画通りに進行させ、見事な板書を完成させた授業が終わった直後に学生をつかまえて、「今日の授業どうだった?!」と、意気揚々と質問したのは、大学に赴任したての私でした。学生の答えは、「先生、一人で乗ってましたね。私は、先生がドギマギしたり、つかえたり、困ったりしたこれまでの授業のほうが、自分も参加できてよかった。」でした。その話を、高校で国語を教えた経験のある先生に話したら、「そうなんだよね。ぼくもそんな経験あるよ。」でした。授業計画をみっちり立てて授業に臨むのはいいことだけど、その計画を押し通すのではなくて、授業を受ける側の学習者と共に考え、共に悩み、共に苦しむ授業が良い授業なのだと思います。それを私は、授業を自分の計画通りに「流す」のではなく、授業を受ける側、つまり、児童・生徒・学生と共に「流れる」と、言っています。芦田恵之助流に言うと、「師弟共流」の授業ということになると思います。