でも、100はある
「でも、100はある」
マラグッツィの詩「でも、100はある」の超訳
(首藤流の奔放な翻訳:前回投稿したのは、この詩の前半部分だけの翻訳でしたが、今回は最後まで翻訳しています)
北イタリアのレッジョ・エミリア市で活躍した幼児教育者、ローリス・マラグッツィ(Loris Malaguzzi;1920-1994)さんが作った詩に、
Invece il cento c’è
という題名の詩がある。
この題名を直訳的に日本語訳すると、「でも、100はある」となる。
思いっきり自由に意訳すると「ところがどっこい、もっとたくさんある」という感じになる。
この題名は、たった1つの正解を押し付ける大人や教育者に反発する子供の心からの声だ、と私は受け止めた。
英語に直訳すると「Instead, the hundred is there」という感じ。
幼児にとっての「100:hundred:cento」のイメージは、「数えきれないほどたくさん」というイメージだから、この「cent:100」を私は、「無限」とか「数えきれないほどたくさん」という意味として受け止めた。
全部で10の連から成るその詩の第1連は、
Il bambino è fatto di cento.
The child is made of one hundred.
意味は「バンビーノ(子供)はチェント(100)でできている。」という感じ。
思い切って日本語に意訳すると、
子供は、100でできている。
という感じになる。
「子どもが100人いれば、100とおりの個性がある。」というような意味ではなく。子ども一人一人の中に、たくさんがあるという意味だと私は受け止めた。
第2連は、何行にも改行されて脚韻を踏むように配置されている。
行数を節約するために、ここでは、改行しないで示すことにする。
そうすると、第2連は次のようになる。
Il bambino ha cento lingue, cento mani, cento pensieri, cento modi di pensare, di giocare e di parlare.
英語に直訳すると次のような感じ。
The child has a hundred languages, a hundred hands, a hundred thoughts, a hundred ways of thinking, playing and speaking.
子供は、100の言葉、100の手、100の考え、100の考え方・遊び方・話し方を持っている。
という感じになる。
第3、4連は次のようになっている。主語と述語は第1連のものを受けているので、その主語と述語つまり「Il bambino ha:The child has:子供はもっている」を補って示すと次のようになる。
Il bambino ha cento, cento sempre cento modi di ascoltare, di stupire, di amare, cento allegrie per cantare e capire, cento mondi da scoprire, cento mondi da inventare, cento mondi da sognare.
英語に直訳すると、次のような感じ。
The child has a hundred, a hundred always a hundred ways to listen, to amaze, to love, a hundred joys to sing and understand, a hundred worlds to discover, a hundred worlds to invent, a hundred worlds to dream.思い切って意訳すると、
子供は、いつもいつ100を持っている。100とおりの聞きかた、100とおりの驚きかた、100とおりの愛しかたをし、100とおりの歌い方を楽しみ、100とおりの分かり方を楽しみ、そして、100とおりの世界を発見し、100とおりの世界を発明し、100とおりの世界を夢見る。
という感じになる。
第5連は次のようになっている。
Il bambino ha cento lingue(e poi cento cento cento) ma gliene rubano novantanove.
英語に直訳すると、次のような感じになる。
The child has a hundred languages (and then a hundred hundred hundred) but ninety-nine are stolen from him.
思い切って意訳すると、
子供の中には、たくさんの、それからもっとたくさんたくさんたくさんの、言葉がある。でも、その全部のうちの1つだけを残して、つまり100のうちの99は、教師から盗み取られてしまう。残された言葉は、教師が正しいと認めた1つだけ。
という感じになる。
第6連は次のようになっている。
La scuola e la cultura gli separano la testa dal corpo.
英語に直訳すると、次のような感じになる。
School and culture separate his head from his body.
意訳すると、
学校と文化は、頭と体を引き裂いて、子どもの知識や理解を(頭)を実感(体)から遠ざけ、実感を伴わない、知識と理解を子供に押し付ける。
という感じになる。
第7連は次のようになっている。
Gli dicono: di pensare senza mani, di fare senza testa, di ascoltare e di non parlare, di capire senza allegrie di amare e di stupirsi, solo a Pasqua e a Natale.
英語に直訳すると次のような感じになる。
They tell to the child: think without hands, do without a head, listen and not speak, understand without joy, love and be amazed only at Easter and Christmas.
思い切って意訳すると、
教師たちは子供に言う。「手を使わずに考えなさい。頭を使わずに行いなさい。先生のお話を、おしゃべりしないで静かに聞きなさい。お口にチャック。あっ、分かった!なんていちいち喜んだりはしゃいだりしないで、静かに冷静に分かりなさい。愛したり、驚いたりして心を動かすのは、イースターとクリスマスのときだけにしなさい。いつもは静かに先生の言うことを聞くお利口さんにしていなさい。」と。
という感じになる。
第8連は次のよう。
Gli dicono: di scoprire il mondo che già c’è e di cento gliene rubano novantanove.
英語に直訳すると次のような感じになる。
They tell him: to discover the world that is already there and out of a hundred they steal ninety-nine.
思い切って意訳すると、
教師たちは子供に、「世界というものはこういうものだという答えが先生の頭の中にそこにあるから、それを見つけてちょうだい。それ以外の世界なんて無いのよ。世界というものは1つしかないのよ。」と言って、子供から残りの99を奪い取ってしまう。
という感じになる。
第9連は次のよう。
Gli dicono: che il gioco e il lavoro la realtà e la fantasia, la scienza e l’immaginazione il cielo e la terra, la ragione e il sogno sono cose che non stanno insieme.
英語に直訳すると次のような感じになる。
They tell him: that play and work, reality and fantasy, science and imagination, heaven and earth, reason and dreams are things that are not together.
思い切って意訳すると、
教師たちは子供に、「遊びと仕事、現実とファンタジー、科学と想像、天(神のこと)と地(人間界のこと)、理性(合理的思考)と夢(願望)は、それぞれ別々のものですよ。それらが一緒になることなんてないのよ。」と言う。
という感じになる。
そして、最後の、第10連は次のように終わる。
Gli dicono insomma che il cento non c’è.
Il bambino dice: invece il cento c’è.
英語に直訳すると次のような感じになる。
In short, they tell him that the hundred is not there.
The child says: instead the hundred is there.
思い切って意訳すると、
つまり教師たちは、「私たちが用意した1つの正解よりほかには、何も存在しないんだよ。100はないんだよ。」と言う。
それに対して子供は、「でも、100はある。」とつぶやく。
という感じになる。」と言う。
この、最後の1行がこの詩の題名になっているのだ。
なお、この詩のイタリア語の原文は、
http://www.infanziaweb.it/poesie/invece100.htm
によった。その詩の本文の連に番号を付けると、次のようになる。全部で10連。
①Il bambino
è fatto di cento.
②Il bambino ha
cento lingue
cento mani
cento pensieri
cento modi di pensare
di giocare e di parlare
③cento sempre cento
modi di ascoltare
di stupire di amare
cento allegrie
per cantare e capire
④cento mondi
da scoprire
cento mondi
da inventare
cento mondi
da sognare.
⑤Il bambino ha
cento lingue
(e poi cento cento cento)
ma gliene rubano novantanove.
⑥La scuola e la cultura
gli separano la testa dal corpo.
⑦Gli dicono:
di pensare senza mani
di fare senza testa
di ascoltare e di non parlare
di capire senza allegrie
di amare e di stupirsi
solo a Pasqua e a Natale.
⑧Gli dicono:
di scoprire il mondo che già c’è
e di cento
gliene rubano novantanove.
⑨Gli dicono:
che il gioco e il lavoro
la realtà e la fantasia
la scienza e l’immaginazione
il cielo e la terra
la ragione e il sogno
sono cose
che non stanno insieme.
⑩Gli dicono insomma
che il cento non c’è.
Il bambino dice:
invece il cento c’è.
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?