読みの個性と創造性―その学習と支援
読みの個性と創造性―その学習と支援
―芦田恵之助とケネス・グッドマンに学ぶ―
という、長いタイトルで話します。
場所は、北教大釧路校佐野比呂己教授主催のオンライン研究会(国語探究研究会)です。
6月26日夕方開始です。
https://www.facebook.com/groups/1622762764775965
その発表内容の結論部分は次のとおりです。
読む力は読む経験を通して伸びる
読む力は読む経験を通して伸びる。なのに、読みの授業時間の大半が、読むことよりも、意見交換と議論に費やされて、自分でじっくり読む時間が与えられないという現実がある。
読みの授業では、声に出して読んだり書き写したりして、目で読み、口で読み、耳で読み、手で読むというような、読むことそのものを大事にしたい。それも、ただ命じられて読むのではなく、読み手が、自分や自分たちの生活に役立つ読みをする時間を増やしたい。
読みの授業時間を、読み手が、楽しむとか何らかの課題や問題を解決するために読むとかいうような目的をもって、その目的実現のために役立ちそうな文章を選んで読んで、役立てるという場にしたい。
国語科の読みの授業は、特段の目的も無く、与えられた教科書教材を読んで、意見を言ったり議論したりするというパターンで展開されることが多かった。今も多いようである。
たとえ最新の電子通信機器を利用したとしても、授業パターンが相も変わらずであれば、大した改善にはならない。
授業時間は無限ではない。だからこそ、授業時間に何をするかを真剣に考える必要がある。
限りある授業時間をどう使うか。私は、子供が実際に読む時間を増やすべきだと考えている。その時間を確保するために、これまで大部分の時間を費やしてきた議論の時間を減らす必要がある。具体的には、発問応答や、グループでの話し合いの時間や、全体で議論する時間を減らす必要がある。
読んだり書き写したりという大切な作業を宿題にして、学校の授業では、全員が宿題をしてきたことを前提にして、意見交換や議論をさせることが多いように、私には見える。
しかし、宿題は全員がしてくるわけではない。宿題をしてほしい子はしてこないで、宿題をしなくても大丈夫な子が宿題をしてくるという現実がある。
そういう現実があるにもかかわらず、授業は、全員が宿題をしてきたことを前提にして進む。その結果、基本的なことが読めていないままに、話し合いや議論がなされることになる。その結果、おかしな問いやおかしな答えが出てくることになる。
そんな現実を見て私は、読みの授業改善について語り続ける必要を痛感している。
https://qr.paps.jp/dgZR8