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狂気の美、ジョアンの『三月の水』、祝サブスク解禁!

(5 min read)

João Gilberto / João Gilberto (1973)

日本時間の2021年4月30日早朝、ジョアン・ジルベルトの名作『三月の水』(João Gilberto、1973)がサブスクで解禁されました。だからもちろんSpotifyで聴けます。これをどんだけ待ち望んだことか。

まだまだサブスクで聴けない音楽はいくつもありますが、そのなかでもジョアンの『三月の水』は名作中の名作、どうして聴けないの?!との声がひときわ高かったもの。「サブスクで聴けない傑作◯選」みたいなリストの常連でした。権利関係が複雑だったからでしょうけどね。

いうまでもなくジョアンの『三月の水』はぼくもCDで買って持っていて、パソコンのMusicアプリ(旧名iTunes)にも入れていますから、部屋にいれば聴こうと思ったときにいつでも聴けました。だから個人的にサブスクにないから困るといった状況にはありませんでした。

ですがサブスクで聴けるようになったという意義はたいへんに大きなものなのですよ。レコードやCDといったフィジカル所有はあくまで個人個人の事情だし、しかもしばらく経てば廃盤になったりして、新規参入のファンにはどうにもならなかったりします。なにより、体験を共有できません。

サブスクなら、なんらかの権利関係問題や音楽家側の意向でひきあげられてしまうといったケースを除き、ずっといつでも、だれでもどこででも、聴くことができますからね。聴いた?聴いたよ!いいよね!といった共有体験を持つことができるのも大きな意義です。名作を聴いた楽しい思いはみんなで語り合いたいですからね。

そういったことへ向けての大きな前進なんですよ、サブスクで聴けるようになるっていうことは。つまり「この傑作が一人でも多くのひとの耳に届きますように」との思いを実現することが可能になるっていうことです。これこそ、サブスク最大のメリットです。

人類の音楽文化のなかで決して忘れ去られてはいけないアルバムが、CDなどでしか購入できず、いつでもとりだして聴くことのできるほぼ無限の所蔵量を誇る音楽図書館のようなものであるサブスク・サービスに入るか入っていないかは、もはや2020年代においては決定的な意味を持つようになってきていると言えましょう。

サブスクというライブラリーに収蔵されない音楽は、そう遠くない未来には存在すら忘れられてしまうかもしれないんですから。現に一定世代以下の音楽リスナーのみなさんとおしゃべりしていると、ネットで聴けるか聴けないかが最大のポイントになっているようで、サブスクで聴けないものはもちろん聴かないばかりか、この世に存在しないも同然というのがすでに常識化しつつあるのを痛感します。こちらがいくら熱弁しても、興味を持ってすらもらえないんですよ。

というわけでジョアン・ジルベルトの『三月の水』、本日サブスク解禁になったことで、忘却の彼方に葬り去られる運命をようやくまぬがれることができました。これで聴きたいひと興味を持つひとみんなに届くようになって、喜ばしいかぎりなんですね。

ジョアンの『三月の水』は、ジョアンのギターと声とハイ・ハットの刻みだけっていう、極限まで贅肉を削ぎ落とした編成で、ボサ・ノーヴァがいわゆる<お洒落音楽>であるとの固定観念を打ち破る、静謐で落ち着いた狂気の世界を展開したもの。思わず息が止まりそうになる静けさと緊張に支配されたこの音楽は、ボサ・ノーヴァの核心的本質をむきだしにしているものだとも言えます。

ジョアンのギターが奏でるコード・ワークでつくるこのリズム、それとこのヴォーカル、それらこそがボサ・ノーヴァだったと思える一作で、ジョアンの稀有な天才を実感できる、ボサ・ノーヴァという音楽のある種の<おそろしさ>を垣間見ることすらできる、傑作じゃないでしょうか。

みなさんのもとに届きますように。

(written 2021.4.30)

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