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階下から聴こえるギターの音色③自分で決める

髪形っていちいち迷うし
わりと大ごと、だと思っている。

昨夏わたしは久しぶりにパーマをかけた。
カールの残りを活かしカットを重ねて
ここまで、まぁ楽しんでいる。

新しいヘアスタイルを
母がふと褒めてくれたとき
「でも、この先どうしようか迷ってるんだー」
と、あれこれ話すと
「自分で決めなさい」と言われた。
ほう。
おそらく母は
わたしの髪型的未来予想図など
どうでもよかったのだろう。

だのに、妙にささった一言だった。


それは、いろいろあった2023年
こころがけていたことのひとつに
自分の判断を外に委ねないこと
が、あったからかと思う。

外に委ねようと内に問おうと、
みな自らの選択。でも。

そのとき、あてとなる価値観は
どこに根ざしている?
自分の存在価値自体を
外側の何かに照らし合わすことに
慣れすぎてはないだろうか。

自分が、人から見たとき
どう映るかということに、
心をあそばせすぎてはないだろうか。

そもそも、自分の価値とか
存在価値ということば自体が
うわついていやしないか。

とにかくだ。

髪型も
服装も
夢や生き方も、
今日食べるものも。

たとえば熱が出たとき
しんどいとき
身体の声より
優先してきたものはなかった?

わたしはなにを心地よいと感じ
自分自身にリラックスできるのか。

自分で決める。

自分の肚で感じきる。


そう頼りにできる分
わたしはたくましくなりたいと思った。
なろうと、決心した。
それが、これからの人生に
欠かせないと感じたから。

それは、自分を譲ったり
自分を差し出しすぎてしまう
パターンやシーンを理解する、
ということでもあった。

うかれたり
のぼせたり
おちこんだり
へこんだり

調子にのるパターン
ずれやすいシーン
そういう「見たくない自分」のことも。

何がなんでもあるがまま、とか
わがのままで、とか
そういうことを言いたいのではない。

社会と関わり生きていて
家族のなかの役割もある。
ただ、そのときにも
自分がここに立たされている、
のではなくて、
少なくとも
ただシンプルに
立っている、と思いたい。

与えられている、でもいい。
受け取っている、でもいい。

この、いまを。



母の話しに戻ろう、
フルタイムで看護師として
仕事を続けてきている人で
とりたてて趣味もなく
非常~に偏食なこともあってか
食が楽しみというふうもなく
旅行にいくでもなく
できれば家で寝ていたいタイプ。

一方で父はお洒落だし、
若いころ日本のあちこちを旅し
魚を釣って自ら捌く
そういう楽しみを知っている。
趣味のスポーツも有する。

この夫婦のバランスはおもしろくも
子どものときは
お母さんを気の毒がり
大人になれば
少しは母が折れたらいい、と
思うことがあった。

あと、父はすごく
女性のロングヘアに憧れがあり
それを妻にも娘にも従姉妹たちにも、
孫でさえ髪を短くすると
あからさまに拗ねてみせてくる。

そしてわたしは、
母の長髪をみたことはない。
一度も。

ふたりが出逢った頃は長かったらしい。
写真では、見た。
母はすごくかわいくて綺麗だった。

幼いわたしは
お母さんもお洒落をしてほしい、
と思ったし、
無頓着に見せるのは
頑固さゆえと感じたこともあった。

そんな母に、
「自分で決めなさい」と言われたとき
タイミングもあったのだろうが
重みをもって胸にひびいたのだ。


その少し前に、
母が「これ着る?」と
一着の服を出してきた。

どこに仕舞っていたのだろう、
これまでたった一度も見たことのない
スカートとベストのセットアップ。
すごく素敵だった。

「着る!」と即答したあと、
色々な想いが交錯した。

ウエストのサイズ感から
だいぶ若いころの物なんじゃないか。
年子の兄姉から5つ離れて
生まれたわたしは末っ子なのだが
たとえばわたしが誕生する前。

「これ、どうしたの」
「買ったの、大むかし」

聞けば、
勤め先の病院近くのブティックで
「思い切って」買ったんだそう。

すぐピンときた、
あのお店だ。
今は分からないけど
長いことそこにあった趣味のいい店で
わたしも知ってる。

とっさにわたしの脳裏には、
まだ20代半ばの若い母が、
いつも通り過ぎるばかりで
縁のなかったブティックに
足を踏み入れたシーンが浮んだ。

もしかしたら、
店頭に飾ってあったのを
見ていたのかもしれないし
数回訪ねた末かもしれない。

とにかく
仕事と保育園のお迎えの
つかの間の時間
何かとくべつな想いを持って
自分に買い与えた洋服に思えた。

それによって
母がつなぎとめることができた
「自分」があったのではないか。

直感的にそう、思った。


母の愚痴を聞いたことがない。
少なくともわたしはない。

仕事を休みたいとか
行きたくないとかも
聞いたことがない。

ホルモンバランスの乱れか
定期的に寝込むことがあったが
そういうときはこどもたちが
困らないように諸々したあと
寝室にこもりひたすら身を休めた。

父の悪口も聞いたことがないし
人生に関してや
日常レベルでの
後悔みたいなものも
聞いたことがない。

ほんとうにすごい人だと思う。

ほとんど低血糖状態で帰宅して
甘いものとお茶で
身体を奮い立たせて
夕御飯の仕度をしていた。
そして仕事ができることを
ありがたいと言いいまだ現役だ。


人は、よりよい人生をのぞみ
少しずつ変化を重ねたり
大きく動いてみたりする。

そういう選択が
ほぼ、ないようにみえた母のことを
変えようとした時期がわたしにはある。
(わたしなりの反抗期だったんだろう。
 たとえば新しい美容室をすすめたり
 通販雑誌をどうせ読むなら、と
 別のを勧めたり。そういうこと)

梃子でも動かぬ、といった具合で
それを見た父に
「母さんは、こわがりだから」と
つぶやかれた。

確かに。
そうなのかもしれない。
わたしは他者を変えようとすることの
傲慢さを知り、そして、改めた。

でも母は、いつも
わたしたち子どもが観ていた
テレビの歌番組を、
居眠りすることはあっても
「つまらない」とか
「今の曲は分からない」とか
嫌味を言ったことがなかった。

バラエティ番組でもそう、
椅子に座れば
だいたい寝てしまうものの
「今の若者は」みたいなことを
言ったことはなくて
いっしょに笑ってた。
笑いたいときは。
あとは、びっくりする呆気なさで
寝てた。


長生きしてほしい。
父にも母にも
どうしても、そう思う。

そしてふと気づく、
この願いが
もう心細さにふるえてはいないこと。
絞りだしたような音ではないこと。

おそれがなくなったわけではない。
でも確かに、この音の分だけ
わたしは自分への信頼を
取り戻しているように思う。

とっておきの、あの服。
託された服。
大切な場で大切に着ます。
自分で決めて立ちたい場所で。



本年も宜しくお願いいたします。


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