私の『文章修行』第3編。「天声人語」と「エッセイ」に鍛えられた中学時代
私は、今年(2020年)からnoteに記事を書くようになりました。
没頭して文章を綴っていると、過去の感覚がふつふつとよみがえり、
「あ~、そうだ。あの頃も頑張って書いてたな~。」
(*´ω`)
と、思いおこされることが時々あります。
小学生の頃は、作文は好きではなかったのですが、「懸賞狙い」の応募はがきは渾身を込めて書き続けていました・・。
その記事はこちらです。
そして、ここ数年で本屋や文具屋さんで『天声人語書き写しノート』を見かけるたびに、中学生時代の国語の先生を思い出します。
30代後半の(中学生から見ると)おじさん風先生でした。
国語の先生で、口数が少なくいつも下を向いていて、話し方もしどろもどろ。
なので授業では何を話しているかよく聞こえず、やんちゃな中学生からするとおしゃべりタイムになりがちでした。
しかし、この先生の授業の前半はみんな作業に集中してシーンとしている時間があるのです。
それは「天声人語」の丸写しの時間です。
生徒は、うちで(親が)購読している新聞の一面下のコラム欄を切り取って学校に持参します。
だから「天声人語」だったり「編集手帳」だったりします。
国語の授業の始まりは、ノートにコラムを丸写しタイムです。
正直、中学生が新聞のコラムを読んで楽しいと思えることは少なく、時には何を言っているのかわからない??日もあるのですが、ひたすら「写経」です。
全部写経し終わったら先生のところに持って行き、赤丸を付けてもらって小休憩です。
この時の感想は、
「楽しくないし鉛筆でこれだけ長文書いていると手が疲れる・・・。
何のためにやっているのかわからないし、できればやめてほしい・・」
と思っていました。
そして私は、学校で「天声人語」を書き写したあと、放課後うちに帰るとその頃流行っていたエッセイを読むのが趣味でした。
内館牧子さん、遠藤周作さん、山田太一さんなど。
もっといろんな方のエッセイを読んでいたと思うのですが、ちょっと思い出せません。
(#^^#)
小説家やシナリオライターさんの書かれるエッセイは、文章のリズム感やオチのある〆方が魅力的でした。
フィクションを書かれる小説家のノンフィクションな体験は、中学生といえども心をわしづかみにされたものです。
大きくなったら「エッセイスト」になりたい!
とこの頃はちょぴり思ってもいました。
(#^^#)
私の中学生時代は、論理的文章と感覚的なエッセイの両極端に日々触れていたな~、と思い出しました。
さて、月日はながれて社会人となり・・・。
私はエッセイストにはなれず(そもそも書いてないし・・)。
シナリオライターもこの頃流行りで、かっこいい~と思いつつ、かなりの速さでその才能がないことに気づき、普通の会社員で営業職についたのでした。
しかし、今になって感じることがあります。
中学生の頃「やらされてる感いっぱい!」で天声人語の写経を続けたことが、実は役に立っているのではないか?
文章経験が浅いうちに論理的な文章構造を体得させるために、あの国語の先生はコラムの写経を授業に取りいれていたのでしょう。
あの時は、
「先生は自分が授業でしゃべる時間を少なくするために、生徒にこんなの写させてるんだぁ。」
としか思えなかったのですが、今になると感謝すべき先生だったのかもしれません。
いや、感謝すべき先生ですよね~(^^♪
『天声人語書き写しノート』を初めて本屋さんで発見したときに、今でもこの写経が推奨されているんだ!と驚きました。
昨今、うちで独習する生徒さんも多いと思います。
ノート1冊分くらいは、だまされたと思って写経に励んでみるのもありかもしれませんね。
(*´ω`)