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ミュージカル『憂国のモリアーティ』

あらすじ

 時は19世紀末、大英帝国最盛期パクス・ブリタニカのロンドン──。古くから根付く完全階級制度により、上流階級の人間達に支配されている「大英帝国」。生まれ落ちた時から一生涯の身分が決まるこの社会制度は、必然的に人間同士の差別を生んだ。そんな中、階級制度による悪を取り除き、理想の国を作ろうとする青年がいた。

 これはジェームズ・モリアーティ、或いはシャーロック・ホームズのかたきの話──。

 まず「大英帝国」。ダークファンタジーの入口。特に最後の歌詞「ただ祈る  はかなき願い どうか地獄に光を」は重苦しい。これは労働者たちが歌っているんだけれども、幼き日のウィリアムが自分を取り巻く環境を思い悩んで、その心に宿った言葉なのではないかと、思うなどした。この「光」そして対立する「闇」が、作品の大きな軸だ。

 全体を通して言えることなのだが、観客席を大いに活かす演出に舌を巻いた。素晴らしすぎる。

 それと。最初に断っておくが、モリミュに関して私は完全なる新参者だ。あしからず。


第一楽章 「モリアーティの誕生」

 テーマ曲である「憂国のモリアーティ」。全歌詞が狂おしいほど好きなのだが、特に

血の如き罪負いて 向かうは彼方 この深き闇の果てに

憂国のモリアーティ Op.1「憂国のモリアーティ」

が好きだ。また、最後の歌詞に「闇よりも暗き闇でこの世界照らせ」とある。これは、「闇」=大英帝国の地獄のような状況で、「闇よりも暗き闇」というのはまさしくモリアーティの全て。「この世界照らせ」が前曲の「どうか地獄に光を」に繋がっている。

 次曲「誓い Ⅰ」。メロディラインが凄く好きだ。ミュージカルを観て、私は、これまで推しであるアルバートに夢中でアルバートばかり見ていたことに気付かされた。一人一人本当に魅力なキャラクターだ。特にモラン。ウィリアムはリーダー格、アルバートが地位や立場的にも遠い存在なのに対して、モランは兄貴分として年少組(ルイスとフレッド)の面倒を見ている。良い役どころだ。本当に良い。良すぎる。この曲では、モランとフレッドからのウィリアムへの誓いが歌い上げられている。

孤独の果てで彷徨う俺を 救ったこいつに俺は誓った
この世界を変えられるのは 彼しかいないと僕は誓った

憂国のモリアーティ Op.1「誓いⅠ」


 さて、第一楽章は三人兄弟の新天地・ダラムが舞台。この地には悪徳領主が君臨していた。名はレニー・ダブリン。家格は男爵。

「天使にも似た悪魔ほど人を迷わすものはない」

ウィリアム・シェイクスピア

 ミュージカルでは出てこないが、原作に引用されているシェイクスピアの名言。ダラムを治める貴族家、最初は小作人に恵みを与えたが、次第に地代を上げ、搾取。小作人たちはこの地を治める貴族に、隷属させられてしまったのだ。この状況、まさにウィリアムが最も憎む、怒りを覚えるもの。

 人々の悩み苦しみを解決しよう。そう心に決めるウィリアム。だが、

「僕に出来ることは 何も無いと言われてしまいました」

憂国のモリアーティ Op.1

 その後の、ウィリアムのアルバートへの台詞。かなり辛い台詞だと個人的には思う。ウィリアムは元々貴族ではなく、下層階級アンダークラスの出身の孤児。小作人たちと同じ立場、もしくはそのまた下の階級とも言えるかもしれない。今こうして貴族として歩んでいることが人々との壁となり隔絶されているように思えて、「同じなのに」と、寂しさとやり切れなさを抱いただろう。少しむきになっているウィリアムが見れてとても良い。アニメ版よりもそれが強い感じがする。


 さて、シェイクピア要素がミュージカルではよく活きている。ダブリン男爵邸の庭園にて。

「イチゴはイラクサの傍らでよく育ち、よい実は下等な果物と隣りあわせになった時、最もよく実りを結ぶ」

ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー五世』

 これは、原作には引用されていない台詞。よい実=貴族、下等な果物=下民。ダブリン男爵の考え方から言うと、栄養を搾り取って良い実を結ぶ、言い換えると下民から搾り取って貴族は富み栄える──そんな所だろう。このウィリアムの引用台詞は、ダブリン男爵の思想価値観を引き出す意図が込められたもの、そして、怒りを封じ込めた皮肉の言葉だ。

 ここでフォーカスされる人物が二人。小作人のバートン、そして闇を抱えた一人の女性、名前はミシェル。ミシェルはバートンの妻だが、この二人には深い溝と、暗い過去がある。二人は、三年前に子を亡くしている。子が肺炎になり、町医者が留守だったためにダブリン男爵に助けを求める。医者を、せめて薬を、せめて、水だけでも──。

 その時、ダブリン男爵は言い放った。

「お前達、水に幾ら払えるかね?」

憂国のモリアーティ① #2 グレープフルーツのパイ一つ

 子死してなお、ダブリン男爵の領地を離れられないバートン。それを許すことができないミシェル。ミシェルが歌う「幼子死す時」は本当に苦しい。歌になると、辛さが増す。辛い。辛すぎる……。


 そして、断罪の時。ウィリアムは手を回してダブリン男爵に偽の情報を掴ませ、試していたのだった。

「シェイクスピア愛好家の貴方ならば気付くかと思ったのですが。貴方が噂を弄して玉座に上り詰めた悪王リチャード三世と全く同じ台詞を言わされていることに。『あのガキ共が愛人が産んだ私生児だと触れ回れ』と」

憂国のモリアーティ Op.1

 この台詞! 鳥肌が立った。凄い、凄すぎる、こんなに良い改変があるのかと。

 別の話にはなるが、一時期私が夢中になっていた漫画で「薔薇王の葬列」という作品がある。因みにアニメ化も舞台化もされている。これは、中世イングランドが舞台で、ウィリアム・シェイクスピアの「ヘンリー六世」「リチャード三世」を原案に薔薇戦争を描いた物語。シェイクピア作品には疎い私だが、薔薇王で大体の内容を知っていたものだから、このウィリアムが言った台詞に大いに感動を覚えた。余談だが、この二作品は少し似ている。英国の作品を原案に、それも貴族を中心に描かれたダークファンタジーだ。元々憂国のモリアーティが好きな私が薔薇王の葬列に惹かれたのは当然と言えば当然、なのかもしれない。憂国のモリアーティは私の好みを形成したと言っても過言ではない。私の中で、この作品こそが原点にして頂点だ。

 そして、その後の「三兄弟の秘密」。まさに至高だ。私がモリミュで初めて聴いた楽曲である。たまたま気が向いて音楽配信アプリで聴いた事がこのミュージカルへの道だった。ミュージカルの展開は何も知らずに聴いたのだが、原作を知っているためどの場面かすぐに伝わった。兄弟三人の少年期が描かれる第一巻の最初のエピソード#1 緋色の瞳が本当に好きなのだが、それがこのように美しくも切なく一曲に落とし込まれている。圧巻だ。

悪魔の根城にこの生を受けた  
悪魔を葬り心は決まった
この手にある富も地位も権力も
全てウィリアムの理想に捧げよう

憂国のモリアーティ Op.1「三兄弟の秘密」

 Op.1でアルバートが唯一感情を剥き出しにする場面。

この道の先は孤独と思っていた
けれど今傍らには魂の同志がいる
僕は進もう この悪の道を
どれだけ血を浴び 罪を背負っても

憂国のモリアーティ Op.1「三兄弟の秘密」

 ウィリアムの痛切な歌声。繊細な高音。度肝を抜かれた。心が震えた。心の琴線に触れる、とはまさにこれを言うのかと、そう思った。アルバートの手を握り、見つめるウィリアムの姿も本当に言い尽くせないほど良い。

 この歌詞を耳にして、真っ先に浮かんだのが原作16巻、ウィリアムのアルバートへの台詞。

「兄さんと出会うずっと前から僕は計画を胸に秘めていて たとえ兄さんからの依頼が無くとも いずれ実行するつもりでした。──なのに 兄さんは誓ってくれた。これから犯そうとしている全ての罪を共に背負ってくれると…」

憂国のモリアーティ⑯ #64 空き家の冒険 第八幕

 ああ、繋がっている、繋がっているのだな、と。胸が一杯になる。

 あと、アニメでアルバートの台詞であった

「共犯で同志で家族 僕たちはこうして生きていく」

憂国のモリアーティ Op.1「三兄弟の秘密」

を三人で歌っているのが個人的に好きポイントだった。

第二楽章  「ノアの方舟」

 原作でもアニメでも一二を争うくらい好きなエピソードだ。ミュージカルのエンダース伯爵は原作と比べるとさらに若い印象を受ける。でも、配役がとても良かった。素晴らしい悪役ぶりに、最早エンダースを好きになりそうだ。

 舞台はノアティック号。そう、豪華客船を旧約聖書の「ノアの方舟」に見立てている。

「ノアは神に選ばれし者 つまり俺と同じ貴族なんだよ」

憂国のモリアーティ② #5 ノアティック号事件 第一幕

 ノアもびっくり、とんでもない思想を持った人物である。正直因果関係はめちゃくちゃである。ノアが生きた時代、貴族という概念は当然無い。エンダースはその他大勢乗っている平民達を「家畜」と呼ぶ。ノアの方舟には動物が種類ごとに二匹ずつ乗った。それは、大洪水の後に動物が種として生き残るためである。それを知識として持っていて、家畜と呼ぶのだろうが……。そんな男が自分自身をノアと同一視している──ノアからしたら大変迷惑な話だ。現実世界にも聖書を曲解する人間は蔓延っているが、エンダースは本当に酷すぎる。

主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。

聖書新改訳2017 創世記6:5

 ノアの方舟の前に書かれた聖句。憂国のモリアーティのテーマはこの言葉に近しいものを感じる。


 さて、内容に戻って、エンダースの追い詰められていく様が見事だ。もうずっと余裕が無い感じが、凄く良い。個人的に、本当に好みだ。「狂騒曲Ⅰ」と「狂騒曲Ⅱ」が特にそうだが、一連の流れを歌にすると疾走感があってとっても楽しい。

 ウィリアムとシャーロックが出会う「推理合戦」もそうだ。アニメだと静かに進行していく感じだが、歌になるとお洒落さが増すなあ、としみじみ。ウィリアムのターン、「自分の出自に誇りがあるから」の「から」の高音が綺麗で惚れ惚れする。

 その後、エンダースが一般人の男性を殺したことを知ったウィリアムの表情。そして、「ノアの方舟にて」という名曲シーンが始まる。

守りたい人たちが また悪魔の犠牲になった
この国は腐っている 等しい命はどこへ消えた

憂国のモリアーティ Op.1「ノアの方舟」

 エンダースの歌詞で、

俺たちは選ばれし者 ノアもきっと生き延びるため
方舟の家畜を殺した 愚民よ役に立ち感謝しろ

憂国のモリアーティ Op.1「ノアの方舟にて」

とあるのだが、とんだ風評被害である。そんな訳が無い。ノアは神のご命令で動物が生き残るために方舟に乗せたのに、殺したら元も子もない話だ。食料なら他にちゃんと用意されていた。


 「ノアの方舟にて」と「幕開き」の歌詞、

この国歪める 悪魔裁くため 我は冷酷な悪魔になろう

憂国のモリアーティ Op.1「幕開き」

が冒頭の「憂国のモリアーティ」の「神が創るこの世 人が地獄にした ならば我は糺す この身、悪となりて」に繋がる。

 さて、この第二楽章で感動したのが、船上オペラで演者が歌い上げた後、現実の観客が拍手するということを想定して作られている演出だ。ここで歌われたのは「アイーダ」で、アリア「Ritorna vincitor!(勝ちて帰れ)」という曲であるらしい。

 もう何から何まで本当に凄い。


 クライマックス。激情に駆られ、既に死んでいる男を刺し続けるエンダース。それが、露になる瞬間。ぱっと光で照らされる。引きで見ると本当にぞわっとする。作中、クライマックスシーンの場所が船上の『劇場』なので、現実の実際の劇場、観客を含めて演出として完成している、私はこの上なく感嘆した。素晴らしいとしか言えない。

 シャーロックの姿も観客席に見え、後方横側からアルバートも出現。観客の演者達が観客席の通路からエンダースを追い詰めるように近づきながら歌う。

人殺し! 人殺し! 信じられない 悪魔の所業
人殺し! 人殺し! 人の命 何だと思ってる

憂国のモリアーティ Op.1「狂騒曲Ⅱ」

 迫力が凄い。突拍子もないことを言うが、もし自分があれをされたら心が折れそうだな、と思った。

「……最低、」
と一人の若い女性が呟き、それに反応して視線を向けた時のエンダースの表情が凄く良かった。段々私はエンダースにハマってきている。

「ここはノアの方舟だ
乗ってる貴族以外は全部家畜なんだよ
それを生かそうが殺そうが俺たち貴族の勝手だろ!」

憂国のモリアーティ Op.1

 「この二枚舌ウソつきめ」と、エンダースがおじさん貴族に襲い掛かるところからまた展開が動いていく。ところで、漫画やアニメと比べて、さらに攻撃されていたように思うが、あのおじさん無事だったろうか、と無駄な心配をしてみる。


 と、ここで、ルイスの兄さん大好き大好きソングが始まる(語弊)。

兄さんはいつも僕を 血を流す場所から遠ざける
そのたびに僕は兄さんを 遠い存在に感じてしまって…
僕は あの頃のような 弱い子供じゃないのに
(中略)
…でもルイス 君は 君だけは…
穢れのない新しい世界で…
だから君には 出来る限り 無垢でいて欲しくて
その僕のエゴが 君を孤独にさせていたんだね

憂国のモリアーティ Op.1 「想い」

 「悪い貴族をやっつけろ」。幼き日からの大切な合言葉。ルイスの心情がありありと伝わる。名曲だ……。


 そして、エンダースの身投げシーン。アニメだと、エンダースは無様にも高みに逃げ登り、ウィリアムの含みのある笑みに気付き、自分が嵌められたことを知って絶望しながら落下していく、という展開。小物感が凄くて、アニメもアニメで展開が好きなのだが、原作通りもまた良い。

「ゆめゆめ忘れるな……」

憂国のモリアーティ Op.1

 飛び降り方も格好良いし、台詞も格好良く感じてしまった。


第三楽章 「シャーロック・ホームズの研究」

 モリアーティ陣営の話ばっかりしてきたが、そろそろホームズ陣営も。あのお人好しジョンが現実にいた。ジョンのお人好し!感が本当に愛おしい。あと、言わずもがなシャーロック! 少し早口で、流れるように喋る。シャーロックがシャーロック過ぎて凄い。個人的には煙草を吸うシーンが好き。あとレストレード、これまた良いキャラクター。ミュージカルでコミカルさが増している。

「じゃあ仕事戻るか……あー!! ホームズが!」

憂国のモリアーティ Op.1

 シャーロックの歌詞で格好良い部分。

からまる糸 人の心 哀しき性 緋色に染まる
全てを明るみに出す 殺人という緋色の糸を

憂国のモリアーティ Op.1 「緋色の研究Ⅱ」

 あと、ジョンの「僕だけは」が最高。

シャーロック 君の心は優しい 僕は分かってる
たとえ世界が君を嫌っても僕だけは君の味方だ
シャーロック 君は僕が守るこの力の限り
たとえ世界に裏切られても僕だけは君の味方だ

憂国のモリアーティ Op.1 「僕だけは」

 こんなこと言われてえよ……。ジョンとシャーロックは出会うべくして出会ったのだな、と。心から思う。シャーロックが照れてるのが良かった。



『我は悪魔を討つ悪魔となる 君は光となれ ホームズ』


最後に

 憂国のモリアーティの世界が広がった気がした。改めて、この作品が好きな理由を思い返す。この世界の理不尽を思う時、自分の無力を嘆く時、「憂国のモリアーティ」は共に在る──そう思わせてくれる、力がある。ここで、原作で好きなウィリアムからフレッドへの台詞を。

「覚えておいてくれ 君が悪を憎む心を持ち続ける限り僕はいつでも君と共にある」

憂国のモリアーティ③ #11 バスカヴィル家の狩り 第二幕

 このミュージカルがアニメ化前に制作され、上演されたと聞いて本当に驚いた。この完成度、凄い……これまで知らなかったことが悔やまれる。いや、存在は知っていたのだが、漫画とアニメに夢中過ぎて……と言い訳をしてみる。

 2025年5月から6月までミュージカル『憂国のモリアーティ 大英帝国の醜聞 Reprise』が上演されるということで、本当に観たい。観させてください、お願いします。という気持ちで2025年は始めていく……。

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