会いたいから行く、ということ
この前のお盆に、学生の頃に一緒に京都の限界集落に通ってた友達たちと会っていた。
ほぼ毎月一緒に通ってた、だいちゃんは1年ぶり。
高校の同級生でもあり、私が京都の集落まで通うきっかけとなったイナバは5年ぶり。
ほんとにひさしぶりの再会だった。
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その土地に行く理由
みんな、いまでは集落に行っていない。
全員東京や岩手にいて、物理的に距離があるというのもそうだけど、いまとなっては"行く理由"がなくなったのだ。
ひさしぶりに集まって話した主なことは、「地域自体の愛着は薄いけど、人に愛着があって会いたいからそこに行ってた」という感じのものだった。
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ひさしぶりに集まって集落の話をしてたら、イナバは「ひさしぶりに○○に会いたい気持ちはあるけど、集落に行きたいかというと違う気がする」と話していた。
もうひとりのだいちゃんは、「○○さんが酒造にいたから、会いに行ってたのはかなり大きいですよねー」とのこと。
私自身も振り返ってみると、「限界集落を盛り上げたい!!」みたいなことじゃなくて、どちらかといえば一緒に通ってた友達たちと京都駅で集まってドライブしながらあれこれ話して、集落でのんびり過ごすことや、舟屋の町にある酒造の旦那さんに会いに行くのが目的だった。
遠くまで会いに行っては、酒造の旦那さんと話しながら日本酒を飲む。元料理人の旦那さんの握った寿司を食べながら、若い頃のいろんな話を聞いた。
ただの学生だった私たちを、毎回笑ってこころよく受け入れてくれた旦那さんには感謝しかなかった。
しばらくして集落の村長が変わって"よそ者"の受け入れをしなくなったこと、通ってた酒造の旦那さんが別の場所に住んだこと、私が陸前高田に来たこともあって、気付けば定期的に通った場所は疎遠になっていた。
このときの全員の話をまとめると、結果的にその土地に行ってたのは"人ありき"だったということ。
その地域に行く理由は「会いたい」と思う人がいたから、なのかもしれない。
"○○さんに会いに、京都まで毎月あそびに行く。"
これが1番のきっかけだった。
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地域や海との繋ぎ役に
話は変わって、私はいま陸前高田に住んでいるんだけど。
この土地に住んである程度経ってから、友達たちがぽつらぽつらと会いに来てくれるようになった。
友達たちが私のInstagramやTwitterに載せている暮らしの様子を見て、ときどき「海を見に、会いに行きたい」と言って、ほんとに来てくれたりする。
(海や牡蠣だけじゃなくて、単純に会いに来てくれる場合もあって。割と距離があるのに、ほんとにうれしいことですよ……)
私が学生の頃に集落に行ってたみたいに、友達が私をきっかけに陸前高田まで来てくれる。
それってほんとにすごいことで、うれしいことだよなあ。
ほんとに少しずつだけど、今度は自分があのときの酒造の旦那さんみたいにその地域や海との"繋ぎ役"のようなことをしていて、あのときの縁はこうやって違う場所で繋がっていくんだなと感じている。
最終的になにが言いたいのかっていうと、先週末の金土に東京から来てくれた友達たちと会ってて、お盆に話してた話を思い出したのです。
その土地に行く理由は、会いたい人がいるから。
これからも、だれかの行きたい理由のひとつになれてたらいいね。
(眠い頭で書いてるので、文章変だったらどうしよ)
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