世界を受け取るように見る
7月26日日曜日、雨のち晴れのち雨。
今日はアイボディ・オンライン・プラクティスに参加した。2週間に1回のペースで組まれているこのオンラインワークショップは今日が2回目。前回の感想はこちらです。
前回、プレゼンス(今にいる)の状態にいるための練習として10分間の「歩く瞑想」が宿題に出された。毎日続けるために、実行した日はカレンダーにシールを貼るという作戦が功を奏して、なんと毎日続けられた。
今日のワークショップでも歩く瞑想をやったけど、講師のマティアスのガイドがあるのと、自分一人でやっていたのとでは、まったく違う体験だった。自分としては一瞬一瞬、自分自身を観察しながら歩いていたけど、「もっとこうしたほうがいい」とか「ここがこうだから上手くいかないんだ」とか、分析したり評価したり。プレゼンス(今にいる)を意識するというよりは、上手に歩くことが目標になってしまっていたような…。
こうしたら上手く歩けたとか、今日はダメだったなどと結果にこだわることは「今にいる」のではなくて「過去にいる」ことになってしまうのだよね。今日は成功も失敗も手放すことを教わった。
瞑想ってとても奥深いものだから、長い年月をかけて薄皮がそっとはがれるように小さな気づきを重ねていくんだろうなあ。私はまだ入り口に立ったばかり。まずは2週間毎日続けられた自分を祝福しよう。
歩く瞑想の最後に、手近なものを見るという実験をした時が面白かった。私は壁に飾ってある小さな絵を見ることにした。まずはオーバーフォーカス(集中しすぎ)の状態で見ると、線などの細部がはっきり見えたけど、目が疲れてしまい、好きで飾ってある絵なのに楽しく感じられなかった。次にアンダーフォーカス(集中しなさすぎ)の状態で見ると、全体がぼんやりとして、絵に存在感が感じられなかった。
最後にプレゼンス(今にいる)状態で見たら、一枚の絵の中で赤と青と白がきれいにバランスしているのが見えて、これが全体を見ることなんだな、と思った。なんていうのかな、柿ピーを、柿だけでもなくピーナツだけでもなく、柿もピーも一緒に口の中で味わっているときの、あの感じ。ああ、もっとオシャレな例えがしたいものだわ…。
今、パソコンに向かいながら、今日教わった見方をしてみている。noteの白い画面に文字が書いてある。その画面のまわりにパソコンのフレームがある。そのまわりにキーボードやマウス、マグカップやスマホや雑誌がある。その全体が自分の方へやってきて、目は単にそれを受け取っている。目で頑張って文字を見に行く必要はない。
パソコンのフレームやまわりにあるものも視界に入れていいんだと思うと、途端に目が楽になった。細かい情報を取りに行こうと、目の奥でギュッと緊張していた筋肉がゆるんで、視野が広くなった。
気がつくと視野を狭くしてオーバーフォーカスの状態になってしまう。細かいものを読むだけでなく、自分の頭の中のどこかにある答えを探しに行こうとしているときも、そうなっている。なるほど。今ある考えを受け取って書くだけでいいのかもしれないな。
ワークショップが終わった後に、久しぶりに見た青空。虹が出ていたそうだけど、見逃してしまい残念! 散歩の途中にすれ違った夫婦が、低気圧と高気圧の話で盛り上がっていた。梅雨明けはもうすぐだって天気予報で言っていた。