コーチングを学んで1年🌱ひさじまの今までとこれから
どうも。10月ぶりです。ひさじまです。
去年の6月、CTIの基礎コースに参加してから1年。
コーチングを学ぶことだけじゃなく、
というかむしろ、自分と向き合って、苦しんで、大きく変化した時間でした。かなりつらかったけど、いまの自分が誇らしく、まあまあ好きです。
この機会をつくって、送り出してくれた上司、会社
クライアントになってくれた皆さま
上級コースのメンバー、リーダーのゆみさん、ファカルティの皆さま
体調壊しても見守りつづけてくれた家族(いや絶対心配だったよね?!)
いままで関わり続けて、愛を注いでくれた、たくさんの皆さん
本当にありがとう。
ということで、この1年の変化とこれからについて
少しお話させてくださいませ。
最初の4ヶ月 3つの気づき
前回のnoteでもお話したように、念願のコーチング!いえい!って感じで、学びの旅(とCTIではよく言います)がスタート。
いきいき、自分らしく生きる人を増やすんだ!そのために頑張るんだ!って意気揚々とクラスに参戦。
CTIは基礎コース、応用コース、上級コースと段階があって、基礎・応用は3日間のコースが合わせて4回あります。
このクラスは、金土日がまるまる潰れるので、体力的には辛かったけど、学びが多すぎて、いつもワクワクしていました。
早い段階で、コーチングそのものだけではなく、自分自身に目を向けることに。
(いま考えると、クライアントが自分と向き合うのをサポートするから、そりゃ自分も自分と向き合うのは当然なんだけど。笑)
1つ目の気づきは、応用コース、最初のクラス、フルフィルメントのワークで、全くイメージがわかないものがあったことから。
人生の目的を考えたりするんだけど。全然、自分の言葉にならなくて、気持ち悪くて、あれ、わたしって何がしたかったんだっけ。何のために生きてるのやら。と周りの受講者が元気に語ってる(ように見えた)のを見て、疎外感がすごかった。
2つ目は、応用コースのプロセス、これ全部、どうしようもなく無理で逃げたかったことで気づきました。
コーチングでは「ともにいる」ことがかなり大事。
でも、わたしは誰かと「ともにいる」ことは表面上できるけど、「ともにいられる」ことができない。
辛い人の隣にいて共感することはできる、辛いねって一緒にいることはできる。嬉しい人のそばで、やったね!よかったね!って言えることはできる。
でも逆は絶対無理。わたしの近くに誰かがいて、同じことをされたくない。
感情に触れてほしくないから、自分も自分の感情に触れたくないし。喜んだり、泣いたり、怒ったり、表現したくない。
だから、お願いだから、わたしのスペースに入ってこないでくださいって拒絶してることに気づいて。
感情に目を向けられない。辛いことを見ないフリするのはわかる、でも、自分の嬉しい・楽しい感情も味わえない。これ大丈夫か。
コーチとしての自分はもちろん、自分自身を疑う時期でした。
最後に、もう1つ、大きな気づきが。
わたしの学んでいるコーチングは、Co-Activeモデルといって、特にベースになる考えが4 つあります。
その中でも「NCRW = People are Naturally Creative, Resourceful and a Whole」
人はもともと素晴らしいのだって言ってるやつが、大好きなんだけど、これ、自分に対して思ったことって一ミリもありませんでした。
人はそうであると信じているのに、自分という人間は全くそうでない、と。
コーチングやら、生きる目的やら、それ以前に、わたしは、わたし自身が生きてていい人間なのか、常に疑問に思っていたことを思い出しました。
これはかなり辛い。
この時期、人と話す自分が、自分じゃないみたいで気持ち悪くて。
話し方も、笑い方も、よくわからなくなって。
いきいき、自分らしく生きる人を増やす。って、まず自分がそうじゃないじゃん。と気づきました。薄々わかってたけど、突きつけられると、かなりくる。
でもこれが、わたしの大きな変化の始まりでした。
上級コース 体調不良と大きな変化
なんだかんだ、基礎・応用コースを終え、上級コース申し込み合戦もがんばり、無事半年間の上級コースに進めました。
前のnoteを書いたのもこの時期です。
不安や疑問を抱えながら、もう申し込んでしまったし、宣言したし、元々やりたかったのは嘘じゃないし、と言い聞かせて、なんとか頑張ろうとしていました。
忘れもしない、11月1日。
クラスのなかのデモコーチングで、休みたい、疲れた、と大号泣。すでに身体中の痺れと頭痛がひどかったこともあり、仕事は少しお休み。
と思ったら次の週に、原因不明の高熱、頭痛、めまい、もちろん食欲不振。熱、全然下がらない。おそらく自律神経が乱れたと…点滴にかけ込む日々……つらかった…
いままで、精神的に苦しくて、パニックになったり、食べれなくなったり、そんなことはよくあったけど、この時は、気持ちより、完全に身体が言うことを聞かない状態。
マイコーチのふみさんとCTIのさとみさん、カウンセラーさんのサポートで、コーチングも仕事もお休みすることになりました。
このときもらった言葉が、お休み期間の指針でした。
「まずは自分自身のエネルギーを満たすところから。」
「エネルギーが溢れた分を人にあげたらいいのよ。」
「自分を削っている感覚があるときは、やめる、離れること。」
「猫も構いたいときに、構えばいい。求められても嫌だったら構わなくていい。」
え、なにが自分を満たしてくれるの?!ってところから、はじまったお休み生活。結局、11月半ばから2ヶ月くらいいただきました。
この時期は、自分は何が好きなのだ?!何が自分を満たしてくれるのだ?!と探求とお休みと行動。
人のことは、一旦置いておいて、自分を一番に考えました。
印象的だったのは、まず箱根ひとり旅。
ポーラ美術館でやっていた「PICASSO 青の時代を超えて」をみて、箱根リトリート foreに宿泊!
このピカソの言葉が刺さりまくって、立ち尽くしたり。
夜は、ひとりでフレンチのフルコース食べて、ハッピーすぎたけど、結局めまいになって、ずっと寝てたり。
体調崩したけど、このとき、「あ、わたし満たされてきた」って感覚を発見。
もうひとつ印象的だったのは、12月の京丹後。無理して笑っていない自分に気づいたときです。
一緒にいる人に心地よくいてほしいから、とりあえず微笑むのが癖だったんだけど、おやすみ期間を経て、とりあえずでは笑わなくなりました。
ちょっとしたことなんだけど、かなりの変化で、
無理に笑うと、自分の感情も考えも消えちゃって、目の前の人に合わせることばかり。これでも良いんだけど。結局自分は削れていく。
笑ってないだけで、まっさらに、感情も考えものせていける。削らずに、そのままでいられるようになる。
休む直前に思っていた、自分への気持ち悪さがこれで消えました。
そんなお休み期間の最後、
1月なかばに、研修のアシスタントをさせてもらって帰ってきたら、変わっている自分に気づきました。
シンプルに、「自分をいちばん大事に」過ごせるようになって。仕事のコミュニケーションも率直に、プライベートでも無理に笑わず、表面的に誤魔化さず、ただひさじま、そのままで生きれるようになってました。
まだ自分のことは信じきれないけど、とりあえず、だいぶ生きやすくなったなぁと感心。
最後の変化と研修 in 京丹後
4月にはいって、上級コースも終わり、
待望の入社式も終わり、研修合宿にむけて準備して…とバタバタしていたときに、ちょっとした事件が。※詳細は伏せます
このとき、たくさんの人が、「ひさじが大事だよ」「大好きだよ」「力になる、助ける」と伝えてくれて、本当に助けてくれました。
今までもこうやって愛を伝えてくれていたんだろうけど、心から理解していなくて……このとき初めて、愛されている、と
「わたしって死んじゃだめなひとだ!!」「生きていないといけないひとだ!!」と強く思いました。
ちょっとした事件の名残もありながら、研修合宿に。今年は京丹後。10月に下見にいったときに一目惚れし、合宿までに3回訪れた場所です。
場所も素敵だし、研修自体も素敵だったし、若手のみんなも大好きすぎるし、人生のハイライトに確実に出てくるくらい、幸せな時間でした。
仕事しててよかった。生きててよかった。
この経験を通して、
ふとしたときに、「あ、死のうかな」「あのときなんで死んでおかなかったんだろう」と思っていたわたしから
「生きててよかった」「もっと楽しくいきたい」「もっと自由に人生を使っていきたい」と思うわたしに本質的に変わったように思います。
いまは、人生の目的もあるし、「ともにいる」ことも「いられる」こともできるし、自分にも他人にもNCRWを向けられるように、なってきました。
これから
去年のわたしは、一緒に学んできたコーチ仲間にいわせると、「儚くて、いまにも消えてしまいそうだった」らしいです。
そう思うと、今のわたしは自分で言うのもなんだけど、しっかり根をはって、ちょっとしたことじゃ倒れなさそう。
やっと自分の人生がはじまった。そんな感じ。
これからは、楽しく、楽しいわたしで生きていきます✌️そのために色々準備中。
この話は、また色々整理できたら!
待っててください。
最後に感謝を。
改めて、わたしに関わってくれた、たくさんの皆さん
ともにいられることが嫌で、多分かなり嫌な顔していたのに、隣にいつづけてくれた、宙チームのメンバー
愛されてるのを、全くわからないなぁみたいな顔してたのに、ずっとそばにいてくれた会社の優しい皆さん
なんだかわからないのに信じて、いろんな仕事をさせてくれている上司。
心配だったろうに、見守って応援してくれて、
自由にさせてくれている母、父。
本当にありがとう。
たぶんまだまだ心配はかけるけど、楽しく生きるから。それが恩返しだと思って。これからもよろしくね。
ちなみに、いまもクライアントさん募集中です。詳しくは前のnote見てくださいね。
それでは。また。