訃報を聞く
そう遠くない日に訃報を聞く事になるだろうと、覚悟はしていたのです。朝、新聞を開くと、かすかに不吉な予感を抱きながら社会面に目をやる朝が続いてもいたのです。
しかし不覚でした。それは突然やってきました。まだエアポケットから完全には抜け出せずにいたぼくの前に、茨木のり子さん逝去の記事が。
角田光代さんは、「歳月を経る」とは出会うこと、と教えてくれました。然り──されどまた、歳月を経るとは、失うことでもあったのです。
当然のことなのでした。人生の半ばを過ぎた今、失うことの多い、失う人の多い朝は、止むことがないのです。
昨夜から『茨木のり子集 言の葉』(筑摩書房)を読み返しています。失ってしまった茨木さんと出会うために。そうして、失った歳月を少しでも、出会う歳月とするために。(2006.02.22)