捨てることを厭わなければ……
良い映画でしたね。山田洋次監督の「隠し剣鬼の爪」。「たそがれ清兵衛」と違って涙が頬を伝うことはなかったものの、十分に心に染みました。
前作にほれ込んだ人の中には、この作品に物足りなさを感じた人も少なからずいたようです。その気持ちはぼくもよく分かります。まずもって主役のお二人(永瀬正敏・松たか子)が、たそがれコンビ(真田広之・宮沢りえ)と比べ、残念ながら存在感においていささか劣る。いかにも小ぶり、テレビ向きという感じなんですね。オーラが感じられない。
セリフも前作以上に多かったのではありませんか? 友人・左門役の吉岡秀隆さんを含め、イントネーションに違和感のある方言を長々と聞かされるのは、少し辛い。
また海坂の雰囲気も薄味だったかも知れません。「たそがれ」では冒頭からいきなり本物の庄内弁が地を這い、積雪の圧迫感と相まって濃密な海坂の世界に観客を封じ込めて見せたけど、今回は風土を感じさせる要素が少なかったように思います。地元の人間としては、一番物足りなく感じるところでしょうか。
あとは、展開が割合一直線ですね。祭事のような遊びの要素、前座の小さな盛り上がりもなく話はまっすぐに進んでいき、ヒロインには心の揺れが余り感じられない。いっとき、願いが叶わず主人の宗蔵から暇を出されるものの、他家に嫁いだり、苦界に身を落とすわけではないから、ぼくたちは安心して(はらはらドキドキすることもなく)ストーリーに身を委ねることが出来る。表情でその人間性を感じさせる場面も少なかったかも知れず、感情移入が難しかったかも。
……と、こんなふうに書き出していくと、足りない物だらけという感じがしてきます。一番足りなかったのは子役、とくに以登ちゃんの「眼差し」だったとぼくは思うのだけれど、しかしそもそも、「鬼の爪」は「たそがれ」とは別物の映画なんですよ。
冒頭からいきなり鉄砲隊の訓練でしょう? お金の話ですよ。金があるヤツが勝つのだと。監督は明らかに現代を(もちろん批判的に)見ている。
宗蔵はそもそも清兵衛とは違う人間です。同じように拝金主義でもなければ日和見でもないけれど、権力者にも臆せず反論するし、身分を捨てて枠外に歩み出ようともするのです。独り身の、失うもののない気軽さってこともあるけど、なんか新しいよね。ただその歩み入る先が蝦夷の地で、実直すぎる性格なのに商売を考えてるなんて何だか非現実的で、〈「隠し剣鬼の爪」は寅さんの系譜〉と指摘されるのも頷けるような気がしますけど。
原作にあった官能的な雰囲気は、この映画には皆無です。「たそがれ」を見た周平の娘さんは〈これって父のことだ〉と漏らしたと聞きましたが、「鬼の爪」にそうした感想を抱くことは、恐らくないでしょう。原作者のファンにとっては、もっとも気になる点ではないでしょうか。
あれ? 何だか減点ばかりでここまで来てしまいましたね。しかしそれにもかかわらず、「隠し剣鬼の爪」は良い映画なのですよ。なにより宗蔵は強い。剣ではなく、気持ちが強い。きえを嫁ぎ先から無理やり強奪(救出)するシーンなんて、惚れ惚れするじゃありませんか。世間体や染みついた規範じゃない、思いの強さ、願いの強さ、その行動力に打たれるじゃないですか。捨てることを厭わなければ恐れるものは何もないことを、彼はぼくたちに教えてくれるじゃないですか。去勢されたかのように大人しい現代人に警鐘を鳴らす映画化も知れませんよ、これは。(2004.11.15)