伝統は未来である
西江雅之先生のご著書は、専門書を除けばかなり読んでいます。本よりもお話の方が断然面白いんですけどね。
最近読んだのが『「食」の課外授業』(平凡社新書)。学生時代に散々、先生の冒険譚は伺ってきました。もちろんいろんなものを食べた話も。記憶では、先生は原形をとどめたものなら何でも(ネズミでもゴキブリでも)食せるそうで、逆に味噌汁のようなグチャグチャしたのは苦手なんだとか。
ところで、ぼくが特に興味と共感を抱いたのは第七話の「『食べ物』の『伝統』を考える」でした。その要点は、
1、「伝統」とは、基本的には「未来」である
2、現代の「伝統」は、人々によって意図的に創られるものである
3、「伝統」は、それを構成するいくつかの「要素の束」から出来ている
「伝統」が意図的に創られる、というのは、「伝統」なるものの起源を辿れば誰にでも首肯できるものです。たとえばスコットランドのタータンチェックがケルト由来なんて眉唾だし(高橋哲夫『スコットランド 歴史を歩く』)、日本の神前結婚式だってキリスト教のそれに対抗すべくねつ造された「伝統」のようです『「食」の課外授業』では江戸前寿司が例として上げられていましたが。
このように「伝統」というものが、ある意図をもってでっち上げられるとすれば、それは当然未来を向いている。〈「今から」何かを行う、ということに関わることだから、「伝統」は「未来」〉なのです。
……というわけで、「伝統」にはくれぐれも注意しなければなりません。「伝統」を喧伝する人々の頭の中にある、「ある意図」に。(2006.01.15)