三人称としての社会科学

 10年以上も前の論文(「三人称としての社会科学」、季刊「窓」第11号、1992年、所載)で、竹内真澄さんは〈「憲法」というような言葉が通用しなくなった〉と書いていらっしゃいます。改憲を支持する声が過半数を占めるといわれる昨今ですが、竹内論文を読むと、実はそれは支持などという積極的なものではなく、また「憲法」や「民主主義」などが古くなったから忘れられているのでもなく、〈「規範的なもの」に若い人々が無関心になっている〉ことに起因しているのだということが知れてきます。

 そしてぼくにとって興味深いことに、竹内さんはその「規範的なもの」を「森有正の定義した意味での『三人称』と言いかえて」論を進めておられる。というのも、「森は対面する二人の人間が、親密さとタテ関係の中に閉鎖しようとする傾向(それを「二人称関係」と彼は呼んだ)を乗り越えることを「三人称」と呼んだ」からであり、「すると、規範意識の弱さは「三人称」の弱さと言いかえてもよいだろう」。

 前々回に書いた「東西南北」を読んだおかげで、少し世界が拡がったような気がする。もっとも、ぼくの場合はこのテの論文をきちんと読み、理解できるアタマではなくなってきているのですがね。(2005.05.12)

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