2023年 夏の放浪 その6
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5.宿題について
◎一年前
私がはじめて長崎に行ったのは、一年前の夏だった。長崎で暮らす人から、人づてにやってきたお誘いに乗っかったのだった。「ここで過ごしてみたら、きっといろんなことを感じるだろう。感じとったものを制作に反映させてみたら、どんな作品ができるのか、気になります」そういう話だった。しかし、誘い文句には続きがある。
「とはいえ、まったくはじめての場所に急にやってきて、その場ですぐになにかを作るのは無理がある。だから、ひとまずはただ滞在をし、いろいろなことを感じながらしばらく過ごすだけでいい。もし本当になにかを作るなら、その次の年に取り組めばいい」
つまり私は、2022年の夏に長崎を訪れることで、同時に、一年後に提出すべき宿題を負ったわけです。これは、私自身が私に課しているのである。誘ってくれた人はただ提案をしているだけ、命令でも注文でもなんでもない。このブロックのタイトルにある「宿題」とは、このことを指している。
かの数学者、岡潔センセイも、このようにおっしゃっておられる。
2022年の夏の経験が種まきなら、そのあとの1年間は土の中でひたすら根を生やす時期で、翌年再訪することでようやく芽や茎が伸びはじめる。花が咲いて実を結ぶかどうかは、それまでの1年間にかかっている。
去年はじめて訪れた長崎には、上記の誘いをしてくれた人のご家族(パートナーと息子さんと)と一緒に行った。
お互いの間での常識というか、ノリというか、関係性やらなんやらが既に仕上がっているところに参加させてもらうのは、考えようによっては、そういうのがまったくないところに集められるよりも楽なのかもしれないが、僕の場合は生まれ育った家庭の環境のせいでか、「家族」というワードだけで身構えてしまうところがある。もともとの陰気と軟弱、萎縮グセとセンサイさもあいまって、去年の長崎滞在は過酷な合宿でもあった。だって家族間の空気がバチバチなんだもの。正直なところ、「家族で一緒にいるとこんな雰囲気になるからこそ、夏の間だけでも別々に暮らしているんじゃないか」と訝ってしまうほどで、わたしの覚えた窒息感と罹患した萎縮の程度は高い。自分のきょうだいが道具を使って首をしめられたり、閉じ込められた風呂場のなかで道具を使って殴られていたりの記憶まではよみがえりはしないけれど、そこまではよみがえりはしないけれど、まあけど、押し入れの中で布団をかぶってケンカの音から閉じこもっているときの気分くらいなら容易によみがえった。や急に不幸自慢したってみっともない。確かにこれはひとつの重苦しい疼きであり、合宿の過酷さをそうとうに補強する要素ではあったのだが、これによって語るよりもっと手前に、シンプルで、それだけに徹底的な過酷さがあった。暑いのだ。
誘いをかけてくれた人は、そもそもが、むしろ環境との格闘のためにこそそこに暮らしているのだ。彼自身も制作者であり、つまりは彼自身が、環境によってインスピレーションを受けるためにそこに住んでいる。外に出て、環境と闘い、土地の人々と交流をするのが生活の目的だから、住居にはクーラーはない。洗濯機もない。すぐ目の前には1キロ以上の砂浜のひろがる、景観だけはすばらしい海のそばだが、台風がくれば風速60メートルにさらわれた海の波が住居をあたまから覆ってしまう立地での灼熱の夏を空調設備なしで過ごす。砂や虫やカビなどの猛威から生活を死守し続けるだけでもひと仕事である。
そこに滞在していた。過酷だった。衝撃的だった。刺激的だった。おもしろかった。宿題を自分に課すことを決める。
◎一年間
それから1年、しょっちゅう、ああでもないこうでもないと、さまざまなものを試作する……ようなことはしていない。しかし、長崎のインパクトによって、なにかが勝手に確実に変化してはいた。制作に限った話をしても、やはりおおいに変わっていったし、変えようと思って変えたわけでもないし、自分でもまだ分析できていないし、分析なんて不必要な気もする。絵の描き方も、使う絵の具の色の種類も変わった。それまで風景の絵ばかり描いていたのが、モチーフの絵を描くようになったとか。直情的につくるようになった。素直に「描きたい」と思って描く。唯一チェックするとしたら、その素直さがどれほどまっすぐなものなのか確かめるくらいのことだ。
一方、こちらから意識的に働きかけた面もある。長崎についての本を読むのもその一つだし、「自分の作業日誌自体をベースに小説を完成させる」に注力したのも、明確に長崎の経験を自覚してのことである。「宿題」を解くこととは違うんだけど。
長崎での経験がばね力になっているのかはわからないが、行動力もばかになって、長崎から帰ってきたあと、岐阜や名古屋に行ってイタリアに行って大阪にも行って引っ越しをして台湾に行ってきました。知らない人にも平気で話しかける人になった。ちょっとあぶないね。
ローマの街並みや遺跡や、何世紀にもわたって守られ、遺されてきたものどもを「観光」し、ヴェネツィア・ビエンナーレという現代アートの一大祭典ではうんざりするほどの現代アートを浴びる。引っ越しを決めるとかえってどうも、十年以上住んだこの部屋の歴史、および土地の歴史が気になってきて、地域に長く住んでいる人に話を聞くようになり、調べられるすべての住宅地図にも目を通した。
貧乏人なのに旅行しまくるから労働もしまくらなければいけない。常に最低3か所で労働しており、いわば充実の日々ではあるけれど疲れるし忙しい。あっというまに秋が冬になって春になる。とはいえ、季節の移ろい自体を楽しむ余裕はあった。というのも、これもやはり長崎から帰ってきてからのことだが、時折花を買うようになっていた。部屋に花を飾ると、部屋での過ごし方がかなり変わるし、部屋というものへの態度もおおきく変わる。その延長で、外に出て花を意識的に眺める時間もつくっていた。ほんの数分でも、心が樹木にうつる移動があればうれしい。季節のうつろいを確認しながら俳句なんて詠んだりして。
あるところから別のところへ移動することで、はじめて空間が場所になる! ……この納得がお腹に落ちるころには夏が近づいてきていた。
「夏になったら解答しなきゃなんない宿題を抱えてたよな……」
この思い、まるで住民税の納付のように、常に頭にくっついて体重をかけてくる。しかしまるで確定申告のように、実際に期日が迫らないと動かない自分がいた。けど、さぼってられるのもそろそろ限界になってきた。だって空をご覧入道雲だよ。どうしよう。なにをしよう。いよいよ重い腰をあげて、まじめに宿題に取り組むべく考えをめぐらす。どういうものがふさわしいのか、どういうものが、自分のこたえたい答えなのか。悩み始めたら、案外すんなりと言葉になった。複雑だし、抽象的だけれど、そのくせすらすらと言葉になった。
◎答案
最初の夏、まさに長崎にいたときに、数々のスケッチにいそしみながら悩んでいたのは、こんなにもすばらしい音と光にあふれた場所に、わたしなんかがつくったなにものかが追加されてもしょうがない。この場所に対して、人間がなにかを作るというのは、無謀だし、野暮である、という問題だった。かろうじて作るのであれば、計器のようなものかなあと考えていた。時間の流れに応じて変化する状況が記録されるなにか。空の色や海の高さに応じて見え方が、刻一刻と変わるもの。
それから九か月ほど経ってから改めて、自分はなにをするんだろうかと考え直す。
提案者の暮らす長崎の住居も、あと数年で手放すことになると聞いていた。だから、仮になにかを作ったとして、それを提出したら、そりゃまずはあの場所に設置されるだろうけど、いずれ別の、おそらくは東京の家に持ち込まれるはずだ。そのときに、「いっとき長崎の浜辺のそばに置かれていた」という時間の厚みが織り込まれていると感じられるものがいいと思った。はじめて
訪れたときは、目でばかり、頭でばかり「認識」をしていたけれど、景勝地ポストカードのような視覚的・記号的な把握ではおっつかないものが魅力の根源である。繰り返しになるけど、そもそも、実際の景色を前に、それをひっぱってきたようなものを飾ってもばかみたいだ。だからとにかく、光とか風とか温度とかにおいとか、そういうものをパッケージできるといい。そのうえで、地球のことに比べたら、人間の一生はほんのちょっとのことでしかない、という感覚も扱えたらもっといい。「一時的である」「かりそめである」という「感じ」がでるとよい。タブローの内外をはっきり区別できるものはふさわしくない。外部をとりこみ、内部が外に漏れる、そういう状態のなにかが作れるとちょうどいい。
そうと方向性が決まったら、条件にあてはまる素材を見つけよう。まず、自分の作業部屋のなかにヒントを探そうとあたりを見まわしてみる。すると、最近「かわいいから」というだけの理由で描きたくなって描いている、ガラス製のワンちゃんたちの絵が目についた。そういえば、大学院のころ描きまくってた住宅の風景の絵から、いまのいままで、自分はモチーフを探すとき、ただただ光ってるものに反応してるだけな気がしてきた。きらきらしたものって好きなのかもしれない。
試しにリサイクルショップでガラス製の小物や瓶をいくつか買って眺めてみる。描いたりもしてみる。描いた絵を瓶にいれるのもあり得るな、と思うと、瓶にはいりそうなサイズのものが近くにあったので、その物体に絵を描いてみた。石鹸です。石鹸会社に手紙を出す。「石鹸に絵を描きたいんですけど、石鹸って絵を描くとどうなります? 変質します? どれくらい長持ちします?」1週間もせずに返事がくる。「んーと、たぶん、かたくなると思う。黄色くもなるかも。けどごめん、正直わかりません。そんな試験はしていないので。これからもよろしくね」オマケに石鹸がふたつついてくる。その石鹸にも絵を描く。
外部の光や風の影響をたやすくうける素材はすべて、薄かったり軽かったり、フラジャイルな見た目をしている。セロハン紙、グラシン紙、プラ板、ミツロウ、風鈴、ネイル用のグッズなど、気になる素材を少しずつ集める。いろいろな画材で絵も書いて、試せる範囲でなるべくあそぶ。しかしどれも決定打にはならないのは、一年前の思い出を胸に抱きつつ自分の部屋で作業をしているので、確信の持ちようがないからだ。もっといえば、思い出の程度だってあやしいもんだ。初体験の衝撃はかえって、冷静な観察をさまたげている可能性がある。狭くない長崎県全体のすべてを見回ったわけでもないので、「まさにあの場所」の特異性を取り上げることもできない。
答えられる自信はまったく育っていないものの、答える方向で生きてしまってるから答えに行くしかなくなっていた。「宿題」度外視してもたんに旅行したいし、再訪もしたいし、島原の乱のこととか足で確かめたいし。
ということで、ついに、いろいろな緊張感を抱えながらも、去年誘ってくれた人にメッセージを送った。「今年もまた長崎に行きたいと思っている。制作を決着させたい。去年は訪れなかった場所もたくさんめぐって、めぐりながら制作して、旅程をとおしてなんらかの形に仕上げた「回答」を渡しにいきたい。」と。
あとから知ったことだが、もし自分から「また行きたい。また行くので相手してくれ」と申し出ていなかったら、この話はそのまま流れていたらしい。だって逆の立場になって考えたらそれはそうだ。本人にその意思もないのに、「作りにこい」だなんて押し付けるのは訳がわからん。それはそうだが、成り行きを見ると、ある意味「試験にパスした」というかたちにも見える。宿題を引き受けないことで一番がっかりしたのは、きっと自分自身だった。
リュックのなかには2冊の「ガイドブック」のほか、旅程中もしなければならない労働のためのノートPCと衣類、グラシン紙とセロハン紙とミニ色紙と画用紙数種と烏口(からすぐち)はじめさまざまな筆記具とインク壺、ガラス瓶がふたつと有頭昆虫針、プラ板、クレヨン、標本箱と石鹸。昔刷ったちっちゃなリトグラフ数枚とスケッチブック。カッターマットとピンセット、デザインナイフ、カッター。
◎一年後
長崎への行きかえりは飛行機で、長崎空港を利用する。刃物や謎の金属の多い荷物を空港で止められなくて助かった。初日は空港からそのまま諫早にむかい、その日のうちに島原に移動する。諫早ではまず、教えてもらっていたリサイクルショップを目指した。「リサイクルセンターACB(アシベ)」で、なにかグッとくる素材に出会えないかとの下心である。結局ACBはお休みだったけど、諫早を散歩できたのでよかった。海沿いではないし、幹線道路だらけで、景観も雰囲気も、去年の長崎で味わったそれとはまったく違う土地だった。地面の傾斜もそう激しくない。
過去の水害のための花火大会で(美術というニセモノと並べると)圧倒的なホンモノに直面し、ショックを受ける。音、色、その楽しさと象徴性。「思いを馳せる」という行いの持つ力。
夜のうちに訪れた島原は真っ暗だが、かたくてやさしい空気の官能的な抵抗感に驚く。キリシタン史跡に雲仙普賢岳、それから「リサイクルセンターACB島原店」にて、よさそうなものを購入。夜「流星群を眺める会」。
次の日は午前中、宿にこもって制作をする。グラシン紙を組み合わせたり、インクと色紙であそんだり。午後、宿を出たら、あとは偶然とご厚意の波に乗って流れるまま流されるまま夜まで。センセイと呼ばわれる老人にビールを奪われた居酒屋に閉店時間まで居座ったのち、ぐっすり眠って翌朝は南島原へ。そして船で天草へ移動。
天草の1日目はバスツアーで、制作は2日目に行う。気晴らしの散歩ではきっと必ず百円ショップに寄って、試作のための工具や文房具を買った。宿の真ん前に文房具コーナーの充実したTSUTAYAがあったのはありがたかった。色鉛筆をしつこく重ねて、単純なかたちにデフォルメした蝶を描く。画用紙にクレヨンで色を塗りこんで、なんらかの質感が出るまで何度もやってみる。グラシン紙を細い短冊にして、針に刺して並べる。宿に用意されているコーヒーや緑茶をつかって、ぼんやりした、そう見ようと思って見れば絵にも見えなくないだろうシミや汚れを目指す。
翌日、再び船に乗って、長崎半島へ移動する。港町、茂木は去年も訪れた場所で、この旅でようやく、去年と同じ景色にぶつかる。茂木から長崎中心部へとむかうバスに乗る。通過する愛宕(あたご)という町の地形がすごかった。すり鉢状の集落の、急傾斜に沿って家屋が縦に並んでいる。すり鉢とはいうけれど、傾斜を思うとアイスをいれるコーンみたいな漏斗型・蟻地獄型の地形の内斜面の上下も左右もびっしりと、ぐるり三百六十度、家屋が立ち並んでいる。
長崎市中心部に移動、ガラスと鏡が欲しくなり、ガラス屋に行ったらめちゃくちゃありがたい対応をいただく。何屋さんなのかはわからないけれど、とにかく、昭和のファンシー金物や日用品を大量にたたき売りしている店があった。カラフルなビニールのかぶせられた、長さ4センチほどの「耳かきつきピンセット」や、サイズも色もかなり多様な、ホテルの鍵についてるようなアクリル棒、喫茶店のコーヒーに添えられている生クリームをいれるちっちゃな容器、知らないぶっちゃいくなキャラクターの印刷がもう薄れてる、子供の口にいれるには危なっかしい錆び方をしたミニ・スプーン、ハダカの少年少女がchu♡ってしてる絵の描いた名刺サイズのおろし金。ぱっと見はドライバーだが、金属の先端は耳かきになっているもの。どれもいい具合に古びていて、まさにこういうものが欲しかったんだ! という質感の素材に満ちていた。いま思えば、今後の制作のためにも、もっともっと買い込んでおくべきだった。
「ちょうど探してたんです!」大喜びで購入する僕を、店番のふたりのおばちゃんは怪訝そうに対応した。こわがらせているとも気づかずに買って、宿にとって返して、それからまた宿を出て、あとは木の板が欲しい。ガラス屋や金物屋は多いけど、木材の店がなかなかない。「このへんに、板買える店ありませんか?」と尋ねまわるも見つからず、しかし商店街に画材屋を発見したため、これもまたおおよろこびで、版画用の木の板を購入。そして夜っぴての制作に取り掛かり、同宿のフランス人に「なにしてるの?」と尋ねられ、文法よりも内容がネックで伝わりづらい英語をしどろもどろに返してみた。
そんなこんなのあと、自分なりの答えを提出しにいった。いろいろな酒を飲んで、翌日ふたたび市中心部を訪れて、去年知り合った方々やスポットを再訪し、へべれけになって人の家に泊めてもらって、この旅はそれで終わり。作品制作はしたけれど、それは別にそれだけのことでしかない。確かに「宿題」は終わったのかもしれないが、本当はなにも終わっていなくて、見方によっちゃ、問いとして意識的につかまえられていないだけで、実は次の「宿題」がすでに、やはり私自身によって、私自身へと課されているのかもしれない。もうすでに、次の夏だって長崎に行くことになる気さえする。
(おわり)
【お知らせ】
「長崎の海辺で感じたことへの反応としてなにかを作る」を果たした直後のこのタイミングにぴったりのイベントを行います。
場所は香川県、宇多津町の「うたんぐら」
お遍路さんための宿も併設したこのスペースで、作品展示を行います。古本の移動販売もあります。トークイベントもある。やることは未定だがワークショップをしようとも考えています。
イベント開催は11月の3日と4日の2日間。けどもう少し前から滞在して制作してます。この滞在についての旅行記はこちら!