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第十代崇神天皇ミマキイリヒコ・ヰソニヹの諦観

      -大物主の名においてIn The Name Of  Omononusi #6-


やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ
崇神天皇陵(行燈山古墳)

 簸川の国守ヒカトベの子の奇妙な歌に
 神告げを確信したヰソニヹさん。
 
 この啓示を受け、出雲を祀るよう命じ、
 その象徴として出雲大社建立となります。
 出雲政庁も神魂神社より出雲大社へと移ります。

 国家安定のために尽力し、次々と策を打ち出しました。
 そのひとつが四道将軍(四方の教え人)の派遣。
 崇神10年7月24日のことのようです。

 ですが問題がありました。
 裏を返せば、時の勇者、都を護る凄腕将軍4人が
 四方へと分散するかたちとなるわけです。

 その間隙を縫って、朝廷転覆を謀る者が現れます。
 タケハニヤスさんです。
 
 武埴安彦=ハニヤス。ハニヤスヒコ・タケハル。
 8代孝元天皇とハニヤス姫のあいだに生まれる。
 四道将軍のオオヒコとは異母兄弟の間柄。
 京丹後市峰山町・波弥神社、
 奈良県橿原市・畝尾坐健土安神社等祭神。
 葛城、生駒、山背に勢力を持ったといいます。

 ですが謀反は蹉跌に終ります。
 お家騒動ともいえる叔父との戦。
 ハニヤスの乱を収めたヰソニヱさん。
 
 続けて、一般人による兵役を廃止し、
 君や朝廷への貢も取りやめに。

 また崇神天皇に5年間仕え、
 帝王学を学んだというツノガアラシトさん。

 都怒我阿羅斯等=角が現る人・つのがあらわるひと。
 文字通り角があったのかはわかりません。

 崇神58年8月のこと。
 ヰソニヱさんがキタノツ気比神宮に
 ケヰ大神=ヒコホオデミ・ウツキネさんを詣でたおり、
 角をキラリと輝かせた加羅国の御子が
 敦賀湾に漂着したといいます。
 福井県敦賀市・角鹿神社、
 福岡県香春町・現人神社等祭神。

 ※キタノツ = 北津。現敦賀市。根国の政庁都市。
         伊奢沙別宮(イササワケ)に政庁宮が
         あったとされる。
         ニニギさんが
         央海(現琵琶湖)の水保宮を離れ
         九州に降臨したおり、
         長男ホノアカリ・ムメヒトが
         水保宮を預かり、
         次男ホノススミ・サクラギ、
         三男ヒコホオデミ・ウツキネは
         キタノツへ移り、政を執る。
         ウツキネの奥さん豊玉姫は、
         程近い松原の産屋にて、
         ウガヤフキアワセズ・カモヒト
         を産んでいる。

 アラシトさんは
 崇神さんに仕えた5年間が認められ、
 ミマナという名を賜ったといいます。
 帰国のち、大陸列強からの緩衝地帯後方として
 任那国を建国。
 「ミマナ」は崇神さんのミマキイリヒコに
 肖ったものだとか。
 
 一方、アラシトと同一人物視されることも
 少なくないアメノヒボコ・天日槍さん。
 兵庫県日高町・気多神社、
 兵庫県出石町・出石神社、
 滋賀県竜王町・鏡神社等祭神。
 こちらは新羅の王子だといい、
 すでに崇神39年に来日していたようです。

 播磨から宍粟を拠点とし、
 崇神さんから日本で居住する許可を得たようです。
 近江から若狭、続いて但馬に入り、
 フトミミ・太耳(出嶋の国守)の娘マタオを娶る。
 そのまま日本に帰化した模様。
 八種の宝を捧げ、
 のちに出石神社さんに納められたとか。
 
 ※出嶋・いずしま = 異国風な区画
 ※マタオ・麻多烏 = 混血児を産んだ女性の意
 
 こうしてパンデミックで疲弊した国も
 再建へと向かい、
 国防方面も整っていきます。

 この崇神さんの時代。
 大転換点であったことは言うに難くないでしょう。
 ここからの向こう2000余年にわたる
 実質、今の世にまで続くこととなった、
 物質主義社会の始まりだったように思われます。
 物質主義を否定するものではありません。私たちは
 豊かな物質によりどれだけの恩恵を預かったことか。

 崇神さん以前の社会概念では、
 そこに信仰は介在するものの
 神と人との関係は対等であったようです。
 
 人はすべてにおいて
 天御祖・アメノミオヤの分霊であるもの。
 神はそれぞれの人のうちに在るもの。
 そんな通常概念が息づく社会
 だったようです。

 肉体の縛りを受ける人間。
 一方、何の縛りもない神ではあるものの、
 肉体を以てでしか感じえない苦楽、痛み快さ、
 この感覚を味わえないという縛りがあり、
 互いが同等に向き合っていたといいます。
 
 ちょうど、崇神さんの頃から地球上のヒト社会において
 物質社会が発展に向かう宇宙の既定路線に
 あったのでしょう。
 満を持しての崇神さん登板とも映ります。

 祟りという見えない巨大な影が思考を
 支配することによって
 神を恐れ、敬う方向へと舵取りされた転換点とも
 受け取れ、
 上(神)と下(人)という関係が確立すればするほど
 何かを捧げねばならず
 「モノ」は必要になり、発達発展が促されるかたちに。
 気付けば、
 ははあ~っ お代官様~っ 的な敬いが
 通常概念として築かれたようにも思われます。

 ヰソニヱさんが良い、良くないの感覚域では
 ないのでしょう。
 与えられた登板機会を全うされたヰソニヱさん。
 唯それのみ。そう覚えます。
 
 そして、
 ようやく転換点を迎えた令和の私たち。
 これからは、また数千年前のもとの
 半身半霊社会に戻るのではなく、
 ネクスト半身半霊社会が待っているような気がします。

 物質9割、霊域1割の物欲思考から、
 物質5割、霊域5割の思考へと
 あまねく馴染みゆく世に。
 私たちが、
 人と神が同等という意味を知り得た時、
 新たな半身半霊社会は熟成を始めるのかも知れません。

 稀代の賢者、
 アセンテッドマスターのおひとり
 御間城入彦五十瓊殖ミマキイリヒコ・ヰソニヱさん。
 
 「神」の名をもつたった4人のミカドのおひとり
 神武天皇、神功皇后、応神天皇、そして崇神天皇
 
 アマテル神から数えると十五代。
 映し鏡にして五十と名が付いたのかも知れませんね。

 第十代崇神天皇 117歳崩御。

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