9-5 ビール名所めぐり #5 とても気になるアサヒビール本社
2022年10月31日に第12回 日本ビール検定(びあけん)が終了しましたが、受検者のみなさま、大変お疲れ様でした。今回もなかなかの盛り上がりで楽しそうで良かったです。私もビールの修行を積んでいましたよ。毎日かかさずビールを飲んだり、天気の良い日にビール名所めぐりをするとか、ちょっと独特で苦しくない修行ですけど。
さて今回は、あの独特な外観で、ビールを飲まない人でもなんのビルなのか知っているアサヒビール本社を巡ってきました! この場所はずっと気になってた場所だったんですよね~。いつも首都高の高架上からクルマに乗って車内から見るので、その足元がどうなっているか、まったく分からないし。
ということで、さっそく下から動画をご覧ください。今回は初アフレコで音声でもビル周辺の街並みの情報をお伝えします。私の眠くなりそうな声で申し訳ないのですが、これまでになく密度の濃いビール名所めぐりだったのでアフレコしてみました。
日本ビール史に残る最もドラマチックな場所
東京 吾妻橋にあるアサヒビール本社を一言で語るなら、この見出しの文章になるのではないでしょうか。吾妻橋ビール工場について、しっかり調べてみると、とんでもない歴史のドラマが巻き起こっていた場所だと分かりました。あちこちから情報を集めて年表にまとめましたので、ご覧ください。
1804~1830年 文化文政年間に第11代将軍 徳川家斉が隅田川畔に浩養園を造園
1860年 老中 水野忠成の別邸から久保田藩主 佐竹氏へ所有に変わる
1871年 久保田藩から秋田藩に改称(同年の廃藩置県で秋田県が置かれることに繋がる)
1890年 浩養園が一般開放され好評を博す
1900年 札幌麦酒が旧秋田藩主 佐竹邸跡地を買収
1903年 札幌麦酒 吾妻橋ビール工場 竣工
1905年 札幌麦酒がビール業界トップを獲得
1906年 日本麦酒、大阪麦酒と合併して大日本麦酒 設立
(1931年 名古屋工場に接待所を開業(現在のサッポロビール名古屋ビール園 浩養園の発祥))
1949年 過度経済力集中排除法により2分割 朝日麦酒株式会社のビール工場となる
1965年 世界初の屋外発酵貯酒タンクを開発して設置(他に西宮、博多の2工場にも)
1985年 吾妻橋工場の閉鎖 土地売却
1987年3月 スーパードライ発売 ビール業界に革命を起こした大ヒット
1987年10月 吾妻橋の土地買戻し 大阪麦酒創業から100周年事業として新ビル建設が決定
1989年1月 朝日麦酒からアサヒビール株式会社に改称
1989年10月 吾妻橋にアサヒビール本社ビルとスーパードライホール 竣工
1995年 TOKYO隅田川ブルーイング 設立(東京第一号地ビール)
(2012年 東京スカイツリー完成 以来、今の風景ができる)
私は、こんなに激動に襲われた土地があるのかな?と思いましたが、いかがでしたでしょうか。
ビール関連だと、札幌麦酒が念願だった東京進出の足掛かりとして札幌から進出してきた場所で、それが大日本麦酒時代を経て、大阪発祥のアサヒビールに変わったものの、'80年代の不振により一旦、アサヒビールの手を離れることになったけど、バブル時代に起きたスーパードライ革命によってすぐに取り戻されるという、ものすごくドラマチックな経緯を辿ることになった場所なのだと思いました。
土地的には、なんと将軍家とも関わりがあったというのが意外でしたが、今でもめちゃくちゃ景観が良い場所なので、お庭にも適してますね。ただ水害が心配な場所でもあるので、備えは絶対に必要です。
こんな歴史の流れを感じながら、ぜひスカイルームに昇ってアサヒビールを味わってもらいたいですね。
アサヒビール本社周辺の外観
アサヒビール本社22階 スカイルームからの風景
(オマケ)浅草 吾妻橋周辺の観光風景
アサヒビール本社のまとめ
ビールに関係なく、個人的に気になっていた胸のつかえがスッキリと取れた経験ができました! 今回行ってみて、いろいろ感じられたし現場の雰囲気もよく分かったし、すごく楽しかったです。今後は何かの節目に訪れてみたいな、と思える気持ちいい場所でした。ビールも美味しいかったですし最高でした!
吾妻橋の歴史もまとめましたが、きっとそのうち、びあけんにも出題されると思います。受検者の方は、ぜひとも勉強して、現地にも足を運んでくださいね。