見出し画像

【大乗仏教】後期中観派の中核4

シャーンタラクシタの「絶対の空」とラトナーカラの「照明(光り輝く心)」が同じ境地(=仏性・如来蔵)である形でまとめられました。しばらく後で取り上げますが、これによって仏性(如来蔵)に善性だけでなく悪性も具有されているという新説が後に登場し、伝統的な仏性(如来蔵)自体は善性のみとする説との間に論争が起こります。

さて、「大乗仏教の五位」のお話に入っていきます。前回まで、途中の加行道から菩薩十地(見道・修道)に触れてきました。今回は最初の資糧道から加行道の途中までを見ていきます。

上の記事の続きであり、四善根の前段階の話になります。

資糧道
○三慧の聞慧
仏陀の優れた哲学を聞いて勉強することで得られる智慧。
○三慧の思慧
大乗経典を読誦し、経典が説く「空性」や「唯識」の教えを権威とし、論理的にその意味を自ら研究することで得られる智慧。

加行道
○三慧の修慧
学習と研究を、瞑想によって明瞭なヴィジョンとして体得することで得られる智慧(止心、観察、双連)。

慈悲や道徳を積むことで瞑想に入りやすい心身を得られます。修行者は閑寂で清潔な場所を選び、仏菩薩を礼拝し、ヨーガの姿勢をとります。教えの内容を心の中に畳みこみ、心の中の呟きによって、それを継続的に考察し、さらには心の中の呟きをも離れて考察を続けます。こうして考察した教え全体を名目として心の中にまとめるのが止心で、意のままにその教えの内容をヴィジョンとして描き出す観察がそれに続きます。ついで、止心・観察を併合的に修め、「六種の障害」を除き去り、描き出した対象に心を固く結びつけて散乱させず、心の散乱をすみやかに知って対象に引き戻すという心のとどめかたを体得します。

・六種の障害
懈怠:怠惰であること
失念:気付きを失うこと
惛沈:心が沈み込むこと
掉拳:心が昂ること
努力の不足:修練しないこと(不作行・努力不足)
過大な努力:修練し過ぎること(作行・努力過剰)

・八断行
懈怠を除く「自信・意欲・軽安・精進」
失念を除く「正念」
惛沈・掉拳を除く「正知」
努力の不足を除く「思」
過大な努力を除く「捨」

その結果、修行者の身心は軽快となり、初禅や種々の神通力を得るに至るとされます。また、初禅から、それに対する執着を棄て、より高い心作用を伴った第二禅、第三禅、第四禅へ進んでゆく四禅なども修習され、そして、四善根が順次に生じていきます。