説一切有部では、断つべき潜在煩悩として七随眠、細かくは九十八随眠を立てます。ただし、九十八とは潜在煩悩の数であるため、大まかに分類し直して「十随眠」とします。原始仏教では「五下分結」「五上分結」が断つべき潜在煩悩として重要視されましたが、有部では「十随眠」が重要視されます。
○十随眠
十随眠の詳細は下の図のようになります。
○有部の五位
・順解脱分(三賢位)
準備的段階の初段階であり、解脱へと方向づけられた階位です。
三賢位(五停心・別相念処・総相念処)=戒・止・観を修習します。
・順決択分(四善根)
準備的段階の最終段階であり、煩悩のない世界の通達へと方向づけられた階位です。四善根位とも言います。
・見道
無漏の智慧によって三界の見所断の煩悩を断つ段階です。
・修道
無漏の智慧、もしくは有漏の智慧で三界の修所断の煩悩を断つ段階です。
・無学道
見所断・修所断の全ての煩悩を断ち切ってしまったところに出現する境地です。もう学ぶべきものがなくなったという意味で無学道と言われます。
有部の無学道において、「有情(心身の法体集合体)」は煩悩の所得法を離れ、無漏の智慧や有漏の智慧を含む有漏善法と繋がった状態と考えられます。煩悩は道に反しているため、完全に断ち切られるのですが、有漏の善法はそうでないから、その得(成就)は非得(不成就)とならない、ただし、煩悩との関係が切れているため、所縁断が適用されて生起しなくなるといった説明がされますが、よく分からないというのが筆者の正直な感想です(笑)。とにかく、無学道の者が死亡した場合、無為法である「無漏の智慧」が最後に残り、それが涅槃となるものと思います。