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初期大乗仏教の経典

今回から「初期大乗仏教」の記事も書いていきます。初期とは中観派の龍樹(ナーガルジュナ)が登場する以前の大乗仏教を指します。

上座部仏教(小乗仏教)と大乗仏教の分裂については上の記事をご参照願います。今回は初期大乗仏教の経典について簡単にお話ししていきたいと思います。

【初期の頃の般若経典】
最初期の般若経として「八千頌般若経(小品般若経)」や「金剛般若経」が挙げられます(紀元前後~1世紀頃の成立と考えられています)。有名な「般若心経」も般若経典に含まれますが、古代インドで原型が成立したのは3世紀頃と推測され、まだ後の話になります。
さて、初期の般若経典の空観とは一切諸法が空であり、固有的な実体(固有的な自性・本体)を有さないと観ずる思想と言われています。当時、説一切有部などが「法体の実有(固有の実体)」を唱えていたのに対し、それを攻撃するために特に否定的に響く「空=あらゆるものに固有の実体がないこと」という語を繰り返し用いたと思われます。一切が空で万物に固有の自性がないため、自他の区別がなくなり、自業自得の原則や、功徳と智慧の関係にも大きな変化が見受けられます。

【維摩経】
維摩(ヴィマラキールティ)という在家の資産家が主人公となっていて、彼の「空の思想」に対する理解は深く、釈尊の十大弟子や弥勒菩薩(マイトレーヤ)達の思想あるいは実践修行を完膚なきまでに論難追及して彼らを萎縮させていました。彼と唯一対等に問答し合えたのは文殊菩薩であり、言葉では表示できないその究極の境地「不二の法門」を維摩は沈黙によって表現したといいます。この経典では出家の聖者として最高の位置にある舎利弗さえも維摩にからかわれたりし、道化役者にされてしまっています。そこには出家の修行僧に対する在家者からの痛烈な皮肉が見られます。

【浄土経典】
「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」の三経が浄土三部経と言われます。一部の大乗仏教徒は現世を穢土であるとし、彼岸の世界に浄土を求めました。阿閦如来の浄土たる東方の「妙喜国」、弥勒菩薩の浄土である兜率天などが考えられ、これらの諸仏を信仰することによって来世はそこに生まれることができると信じました。後世に最も影響の大きかったのは阿弥陀如来の浄土である「極楽浄土」の観念です。浄土経典は五濁悪世の衆生のために釈尊が阿弥陀如来による救いを説いた経典であるということを標榜しています。法蔵菩薩(ダルマーカラ)が本願を立てて修行し、自利利他の行が完成して、自ら阿弥陀如来になると同時に一切衆生がこの仏の名号を信じ、称えて修行することによって極楽浄土に転生することが約束されたという事が説かれます。阿弥陀如来の極楽浄土は様々な宝石に彩られた美しく快適な世界として描かれますが、天国で楽をするイメージではなく、あくまで心地良い環境で修行に勤める場所です。

【華厳経】
「十地経」「大方広仏華厳経(六十華厳経・八十華厳経)」「大乗梵網経」などが挙げられます。釈尊がブッダガヤーの菩提樹のもとで実現された覚りの世界、その世界の内容をそのまま表そうとしたものであると言われています。釈尊の覚りの場が中心の舞台として設定され、覚りの場にある釈尊が盧舎那如来と呼ばれ、その盧舎那如来の世界の光景の描写にも力が注がれています。あらゆるものには互いに一体化、互いに和合し合って一つの世界の中で存在を全うしているという「法界縁起説」が説かれ、これを根拠として盧舎那如来に支えられつつ、自利利他の願いを持って覚りの世界へと歩を進める菩薩の実践が示されています。また、三界は仮に現れている空虚なものであって、ただ心が造り出しているに過ぎないという「三界唯心思想」、更には盧舎那如来の法身が一切の衆生世界に様々な有様で遍満しているとする「如来蔵思想」の原点となる思想も登場します。この経の「入法界品」に登場する主人公・善財童子が五十三人の善き導き手を歴訪し、求道の旅を続ける物語は有名です。

【法華経】
「法華経」の古来の注釈家はこの経を前後の二段に分け、その前半を「迹門」と呼び、後半を「本門」と名付けています。本門の主題は「仏身常住」です。釈尊は人間としての八十歳の生涯において初めて仏陀となったと我々の眼には映るけれども、実は無限の過去から既に仏陀(久遠の本仏)なのであり、仏身は常住永遠とします。これに対して人間としての仏陀は久遠の本仏が仮にこの世にあらわれた姿に他ならず、それが迹門における仏陀(釈尊)です。迹門というのは人間の理解にかなった姿で、本門の仏陀がその「迹」を世の中に示すことです。本門の主題の「仏身常住」に対して、迹門の主題は「開三顕一」であるとされ、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗が一乗に帰するということを非常に力強く主張しています。上座部派仏教の立場を方便説として認めつつ、本経の立場(これを一乗または仏乗という)に止揚しようとしました。