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今こそコミュニティが求められる理由


今、勉強カフェでは3名の学生がインターンとして2週間にわたってカリキュラムに取り組んでくれています。その中で、少し時間をもらい、インターンの皆さんと話す機会がありました。

私が話すお題は、アフターコロナにおける勉強カフェについてということでと言われていたのですが、事業に関しては、勉強カフェは、大局ではアフターコロナだから以前と比べてどうというほどの大きな変化には見舞われていないほうだと思っています。その中で、勉強カフェが関係する分野で、これから何か大きな変化があると考えているのがひとつありましたので、今日はその話をしたいと思います。


僕が今回のコロナ禍を通じて、これから大きな変化が起きると思っているのは「コミュニティ」の分野です。


コロナ禍で人間の弱さが顕在化した

さて、ここでも何度も書いてますが、僕は「人間は弱い生き物だ」というのが根幹にあります。だからこそ、ビジネスにおいては、基本的に人が楽できるものが求められています。

人間は弱い生き物だから、ひとりでは生き抜くのは難しい。
勉強するというシーンに置いてもこれは同様で、もし人間が皆家でひとりで勉強できたら、勉強カフェのニーズはなかったはずです。もし誰かと勉強を通じた知り合いができたらいいな!と淡く期待する人がいなければ、勉強カフェにはこれほどの多くの人が来なかったはずです。

ナイーブが故に環境が大事で、人との触れ合いも必要。だからこそ動物とは違い、人類はここまで発展し、多様な文化が生まれたともいえます。

今回のコロナ禍を通じて、人間の弱さが顕在化しました。年明け中国の武漢でなにやら新しいウイルスが猛威を奮っていることが公になり、2月になり、ダイヤモンド・プリンセス号の問題が発生し、3月になると国内に広がりだし、あの頃コロナウイルスはまだ未知で危険なウイルスでした。

初めての未曾有の事態を受けて世界各国がそれぞれ試行錯誤。誰も正解がわからない中で、国としては迂闊な発信はできない。それも理解はできます。しかし少し方向性の発信が足りなかったのと、マスコミを(どうせ政治的にいつもコントロールしているのだとしたら笑)今回もうまくコントロールすべきでした。

発信不足により、不幸なことに、世論の断絶を生んでしまったかと思います。自分の正義を人に押し付ける「自粛警察」や、村八分にしたり、過度に攻撃する。地域で差別したり、とあまりに非科学的な行動が目に付きました。

ウイルスは落ち着いたとしても、人が怖い、嫌な目にあったという人の記憶は残り続けます。

わかりませんがおそらくこれは日本人に限った話ではなく、人間の持つ一つの側面なのだと思います。目を背けたくなるけど、これが現実。

人類はそんなに立派じゃない。
こういう中で我々は生きているし、生きていくことになるのだと思います。

安心できる人と場所を求めるようになる


こうして分断が起た社会は、再び融合することにはならないでしょう。分断は拡大していくと思います。そんな中、人が求めるもの。それこそが「自分が安心して所属できるコミュニティ」だと考えます。


これから需要が高まるコミュニティとは、
どんな家族の元に生まれたかや、住んでいる場所、生まれた時期
といったものをもとに形成される、自分で所属をコントロールすることができないコミュニティではなく、自分の意志で、自分の志向にあった人が集まるコミュニティ。


コミュニティというのはここ数年のホットワードです。コミュニティマネージャーや、コミュニティスペースなど、いろいろな所で言われるようになってきました。コミュニティビジネスはまさに黎明期だと思っています。つまり今はまだ、イノベーターの次、アーリーアダプターが集まっている状態かなと。

このステージにおいて盛り上がるコミュニティは、繋がりに対するニーズが強い人たち、例えば勉強カフェにも自らコミュニティの学校に通っている仲間が何人かいますが、彼らのような人たちが集まるコミュニティ。例えば僕も一度お邪魔させてもらって、マジックを体感した6curryのような斬新なコンセプトのコミュニティを見つけて即入会するような、感度の高い人たちが集まるコミュニティ。


そしてコミュニティは今後、イノベーター理論でいうところの、
アーリーアダプターから、アーリーマジョリティーへと移っていくことになるはずです。

つまり、今は一部の尖った人がコミュニティに関心を持っていて、世の大多数の人はコミュニティに関心がない状態ですが、その裾野が広がっていくということです。

今回のコロナ禍を通じて表面化した社会の分断が、加速させるはずです。

コミュニティが苦手な人も所属できる場を


その中で、人と繋がりたい!キラキラした人が集う、今ホットなコミュニティだけでなく、潜在的な欲求として繋がりたいというニーズを静かに満たすものも求められるようになるのではないでしょうか。


勉強カフェがこれから描くコミュニティも同様です。派手さは無いが学びを前向きに楽しむ人を、年齢や出自を問わず温かく受け入れるコミュニティ。

極端な話、コミュニティは苦手という人であったとしても、背伸びをせずに所属できるコミュニティ。こういうのが作れたらいいなぁと思っています。

実際勉強カフェを見ていても、勉強好きな人って、静かなで落ち着いた方、真面目な方も多い。実際、そういった方に今のコミュニティのイメージで、コミュニティ!!交流!!っていうと「自分は違うな」という方は多いですよね。

(これは先日参加した、議論メシのメンバーさんとのディスカッションの機会で、交流の定義の違いに気づかせてもらいました。良い機会でした)


だから、ある意味、勉強カフェにおいて、コミュニティを持ち出すのはまだ少し早かったんです。強すぎて苦労した面もある。弱くして苦労した面もある。交流は求められてないんじゃないかという誤解も内部で出てくる。


でもこれからは違和感なくなってくるはずです。
今回のコロナ禍を通じて、前述した「自分が安心して所属できるコミュニティに入っていたい」というニーズが少しつづ表に出てくるからです。


一層分断していく世の中で、今以上に人との繋がりの重要度は上がります。
世の中が不安定になり、自身の安心安全が担保できない。
それは、分かり会えない人とは距離を置くということもであり、それは社会として良い状態なのかという側面もありますが、

私たちの周りを見渡せばすでにコミュニティが機能していないことによる様々な社会問題が顕在化しています。
単独世帯の増加や、ロスジェネ世代の問題、孤独死の問題、メンタルヘルスの問題の増加などなど、どれも大きな社会問題です。

人は孤独にしてはならないのです。社会でカバーしないといけない。


今のコミュニティという言葉は、人との交流が前に行き過ぎています。
僕も、必要以上に繋がりたいわけではない。馴れ合いは大嫌い。
でも自分にとって、精神的に支えとなる人と出会えたら。一緒にいてお互い自然体で過ごせて楽という人と出会えたら。そういう潜在的な欲求を持っている人はたくさんいるはずです。

最近は個人でも、ことあるたびにミッション、ビジョンを設定しようとなります。勉強カフェでもそういうイベントを企画しているし、それはそれで意味があるし素晴らしいことです。

でも一方で仮にそういうのは持ってなくても、学ぶことが好き、もう一回勉強したい、そういう人が、学びを軸に軽い気持ちで所属できる。ひとりで学んでもいいし、誰かひとと一緒に学んでもいい。これからの勉強カフェはそんな場所でありたいなと思っています。


そして、LearningNeverEnds.という勉強カフェのキャッチコピーとしてうたっているように、また私たちブックマークスでは、ビジョンとして「勉強という言葉のイメージチェンジをしたい」と考えているので、単発の勉強ではなく、学び続けることの楽しさを言葉やビジュアルで発信するだけではなくて、例えば、世代を超えて学び合うイベントや企画など、アウトプットを通じてコンセプトを発信していきたいです。


長い人生、いろんなことが起こる。良い時期もあれば悪い時期もある。その中で、学びたい時に戻って学べる、出入りが自由にできるセミオープンなコミュニティ。20,30代で入会して、退会と再入会を繰り返しながら30年,40年くらい続けてくれる。勉強続けてシニアになった人が、次の世代の勉強好きな世代と繋がれる。事業としての形は変わるのかもしれませんが、そんなイメージが勉強カフェで実現したい理想の学びのコミュニティです。

未来では、学ぶことの価値があがるのでは


これからの学ぶことに関しての考えは、危機感を持って将来を捉えれば、学ばないと置いていかれる。これは間違いないです。新しい技術が次々と生まれ、変化のスピードが早くなり、若い世代に負けてしまいます。今自分がいくつだとしても、将来を見据えて食いっぱぐれにくいスキルは身につけることは大事だろうと思います。

でも一方で僕はこうも思います。幸せな人生、豊かな人生ってなんだろう、死ぬまで新しい仕事をし続けるためにキャッチアップし続ける人生は、果たして幸せなのか?

世の中の不便はどんどん解消され、楽に生きることができるようになっています。スマホやYouTube、Netflixがあれば、家に一日中いてもいくらでも時間は潰せるようになりました。別に学ばなくても生きていける。

その中で、学ぶ、勉強するという行動は、自分の意志でするもの。別にしなくても生きていけるけど、あえて自分からするものであり、勉強をすると(スキルだったり、興味だったり、経験だったり)何かが得られるもの。自分の意志で行動し、成長を実感できる。他の行動がどんどん受動的になる中で、そんな当たり前のことの価値が上がる気がします。言うなれば、リアルなドラクエで、物語の主人公はゲームの中ではなく自分。


未来では、学ぶという行動は主体的なものとして、より価値が上がっていくのではないでしょうか。そして、学ぶという行動は、他人の人生を生きるのではなく、自分の意志で自分の人生を生きるアクションです。


学ぶことを人生に取り入れようという人は既に一定数いるのを勉強カフェを通じて私たちは既に知っていて、関係も築いています。これからもっともっと、そういう人は増えていくはずです。コミュニティの重要度が上がっていく世の中になる中で、学びのコミュニティのひとつとして、社会に貢献していきたい、それがこれからの時代における「(ブックマークスのミッションである)学びを通じて幸せになる大人を増やす」の一つの形ではないかと、そう考えています。

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