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短歌随想㈣『竹山広と大我幸藏』
死肉にほふ
兄のかたへを立ちくれば
生きてくるしむものに朝明く 竹山 広
長崎原爆忌を前に、またあの暑い夏がやってくる。
今年は特にウクライナの悪夢を目の当たりにして、戦争の理不尽さと核保有国の傲慢さ、そして何より殺された名もない多くの人たちの無念に憤りを覚える。
作者は長崎を拠点に活動し、迢空賞や現代短歌大賞など数々の栄誉に輝いた。平成22年に逝去したが、なおその歌は原爆の暴虐性を告発し続けている。
「崩れたる石塀の下五指ひらきゐし少年よ しやうがないことか」は、久間元防衛相の原爆をめぐる「しようがない」発言を痛烈に批判した歌である。改めて不戦と核兵器廃絶を強く念じた。
(※冒頭写真は長崎市住吉町の三菱兵器住吉トンネル工場跡)
担架にて
屍がゆけばうつしみの
足裏ひるがへし人らつきゆく 大我幸藏
大我先生は、諫早市に事務局をおき全国に会員を有する『やまなみ短歌会』の選者の一人として、会の振興はもとより諫早市文芸大会短歌大会会長として地域の文芸振興に長年尽くされたが、去る1月7日に逝去された。享年88歳だった。
表題歌は、昭和32年の諫早大水害の惨禍を詠った歌集『洪水惨』の収録歌で、「足裏ひるがへし」がその凄惨さを表現して余りある。
短歌に対しては真摯に厳しい姿勢を貫かれたが〈口開けて眠むる子みればよろこびの笑いの声を夢に上げゐん〉などは優しいお人柄をよく表している。私たちはまた一人、先達を失くしてしまった。
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