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『僕が道北を撮り続けてきた理由』

今日は2020年9月12日。

初めて道北を訪れてから、今年で35年になる。

1985年。16歳、高2の夏。

それは、初めての北海道一人旅14日目、8月12日のことだった。

日本海側を北上するオロロンライン(国道239号線)に並行するように走っていた、今は無き国鉄羽幌線(留萌〜羽幌〜幌延)の羽幌駅15時07分発幌延行き2両編成のオレンジ色のディーゼルカーに、網走出身の友人・佐久間くんと乗り込んだ。

前日、羽幌ユースホステルに泊まり、早朝より廃鉱となった羽幌炭鉱を巡るツアーに参加。廃墟探検での強烈な体験の余韻をまといながら、焼けつく夏の日差しの下、初めての日本最北端の街を目指した。

開け放ったディーゼルカーの窓から、湿気のない爽やかな風が車内に心地よく吹き込んでくる。暑い日だった。

しばらくすると、緑の大地と日本海の青が流れてゆく車窓の遥か彼方に、日本最北の百名山・利尻富士が見え始めた。ちょうどその時ウォークマンで聴いていたのは、ホール&オーツの『H2O』。5曲目の「Open all night」が流れてきた時、生まれて初めて、目の前の景色と音の世界が完璧にシンクロする体験をし、全身に電気が走った。自分の写真には常に音のイメージがあり、いつも音楽から映像のインスパイアを得ているが、その感覚を遡ると、この瞬間だったことに間違いない。

17時02分、羽幌線の終着・幌延駅3番ホームに列車は到着した。ここで2番ホームに停まる宗谷本線稚内行き2両編成の赤い客車に乗り換えた。最北へ向かう列車の窓外には、初めて見る地平線とあまりにも広大な空。羽幌を出たころ真っ青だった空は、徐々に赤みを帯び、斜光が樹々の影をより長くしてゆく。終着駅の二つ手前の駅・抜海駅から南稚内駅へ向かう途中、列車は宗谷本線のクライマックスとも言える絶景の丘へと辿り着いた。左手には雄大な日本海の海岸線と海の彼方に浮かぶ、紫色の利尻富士。

一つの風景が、人の人生を変えることがある。

僕は、あの日体験した感動の延長上に立っている。

これからも、魅了されてきた道北を撮り続けてゆこうと思う。
新たな感動を探し求めながら。

2020.9.12 工藤裕之

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