〜書き残したあの風景〜 『昭和から届いた手紙』 【湧網線知来駅】(vol.2)
【写真集 P.182〜187 /平成19年執筆】
『昭和から届いた手紙』
~湧網線知来駅回想~
(vol.2)
廃止の数年後に一度、知来駅前を通ったことはあったが、それ以来全くそこを通ったことも知来に関する情報を何ひとつ耳にすることはなかった。
知来駅駅舎は残っているのか。
そして、川村夫妻は今もあの地に暮らし続けているのだろうか・・・。
知来を訪れるチャンスは、手紙を見つけた年の10月に突然やってきた。
仕事で道東を訪れる機会があり、知来からは数十キロしか離れていない女満別空港発着で、1日時間が空いたのだ。前日は、かつての起点だった網走市内のホテルに泊まり、翌日早朝、湧網線の記憶をたどりながら知来へと向かった。
鉄道ありしころの車窓風景を思い浮かべながら、“鉄道に乗っている気分”で網走駅前を車で出発した。夜が白み始めた網走市内を抜けると、左手に網走湖が見えてくる。
〈旧湧網線 サイクリングロード〉
〈湧網線現役時代 車窓からの風景〉
道路のすぐ脇には、舗装された線路跡らしきものが併走している。湧網線の廃線跡は、網走市街地からオホーツク海岸の旧常呂駅付近の少し先までがサイクリングロードになったらしい。
網走湖の彼方に金色の朝日が昇りはじめた。黄色やオレンジ、紅色に染まった樹々たちの向こうに輝く網走湖の水面は、えも言われぬ美しさだ。
そっくりそのまま、この美しい鉄道風景も消えてしまったことが何とも残念でならない。
網走湖から離れた線路跡(ほぼ道路に並行している)は、能取湖畔を巡り始める。道路の左手に「網走市能取」の看板がかすめると、小さな市街地が現われた。
「ああ、思い出してきた。この先を左手に折れたところが能取駅だ」
右手に輝く能取湖を見ながら、T字路を左へハンドルを切った。
旧能取駅跡は、駅舎こそ消えていたがほぼ当時の面影をとどめていた。未だ残るホームに登ると、その当時窓越しから撮った1枚の写真のイメージがよみがえった。
〈営業時の湧網線能取駅〉
「そうだ、車窓の向こうに水面が光っていたんだ」ホームの先端に立つと、あの日と同じ、駅の彼方に能取湖の水面が眩しく輝いていた。
かつての記憶のページを一枚一枚めくるように、
今は無き駅をたどっていった。
「常呂」 「北見共立」 「浜佐呂間」 「仁倉」
そして次は、「知来」。
しかし、どこかで足はためらっていた。
20年振りのこの訪問ははたして自分にとって、喜びをもたらすのか、それとも 後悔をもたらすのか・・。
抜けるような青空と陰鬱な灰色の雲が混在する空の下、私はふたたび車のアクセルを踏み、最終目的地「知来」へと向かった。
〔「昭和から届いた手紙」vol.3へつづく 12月19日掲載予定〕