【台湾建築雑感】木造建築の保存について
台湾で生活していると、台湾全土のあちらこちらで、日本統治時代の木造宿舎のリノベーションプロジェクトを見かけます。小さなものは単体の宿舎、大きなものになると、軍隊のための宿舎を街区全体で修復しているものなどもあります。
これらの木造建物のリノベーションについて考えていることを書きます。
初めに、いくつかの具体的なリノベーションプロジェクトを紹介します。
嘉義、檜意森活村
嘉義は、日本統治時代は阿里山の木材を集積加工する林業のセンターとして発展していました。そのための職員の宿舎として、近年まで使われていた木造建物群を、広い街区で広場を計画しながら再整備しています。
檜意森活村のホームページ
屏東、勝利星村
屏東縣の屏東市では、ここ5年ほどを費やして旧日本陸軍の宿舎をベースとしたリノベーション計画を進めています。僕が見たところ、このリノベーションの規模は台湾で最大です。現在でもまだたくさんのの建物が修復工事中です。
勝利星村のホームページ
高雄、黃埔新村
高雄の黃埔新村は、他のリノベーション施設とは一線を画しています。この施設は国により維持管理されているのです。
これは、蒋介石の中華民国が台湾に進駐してきた際に、その中核たる黃埔學校の幹部たちをここに住まわせたからです。恐らく、中華民国の軍隊は日本側が基隆から進駐したのと違い、高雄軍港から台湾に入ったのでしょう。そして鳳山の地の日本軍宿舎を使った。
そのような歴史があるため、国がこの施設のリノベーションを担当し、元の木造建物をそのまま残すことを基本方針に、施設を整備しています。
台北賓館の説明
これらの木造建物の事情を書く前に、僕が"台北賓館"を見学した際に読んだ説明文のことに触れます。
台湾総督府は、当初この台北賓館を木造の建物として1899年に建設したそうです。しかし、10年ほどでこの木造建造物は白アリの被害と木材の腐食のために総督府の迎賓館として使うにはふさわしくないものになってしまいました。そして、1911年に現在の鉄筋コンクリート造の建物に改築することになります。
現在残っているのは、この鉄筋コンクリート造の建物を、中華民国政府があらためて改修したものです。
台湾における木造建築物は、高温多湿の気象環境でこの様な運命になるのだということを、この説明を読んだ時に初めて知りました。
建築生産の現場の現実
ここまで、いくつかの日本統治時代の木造建物の、現在の様子を見て来ましたが、現在の建築生産現場で木材がどの様に使われているのかを、僕の経験を元に説明していきます。
室内のフローリング仕上げ
現在、一般的な住宅の床仕上げはタイルです。そして、次の選択肢として石材があります。この2つの材料を選択することが圧倒的に多いというのが住宅の建築現場の現状です。これは、湿度に対して変形、劣化しないというのがメリットなので、この様な建材が選ばれます。
日本ではフローリング仕上げが好まれるので、その採用を検討をしたこともありますが、台湾では本物の木材を使ったフローリングは、経年変化で膨らんでしまい、トラブルになることが多く敬遠されています。
代わりに使われるものが、木材の模様を印刷したタイルです。木地磚(木模様タイル)と呼ばれるものと超耐磨木地坪(高耐久性フローリング)と呼ばれるものです。木地磚は結局はタイルで、超耐磨地坪は木質材料を用いていますが、硬化させたパーティクルボードに表面に処理をした木質の表面材を貼っているものです。
ごくたまに、床に直に設置するのではなく、木下地で床面を持ち上げた設えにする時に、普通のフローリングを用いているのを見たことがあります。
また、実際に木のフローリングを使っている際に、床面が腐食でフワフワになっていたり、穴が空いているのを見ることもよくあります。
ですので、一般的な建築の現場で、実木のフローリングを用いるケースは本当にまれです。
サッシの額縁
日本では、内装工事で額縁を取り付け、そのラインに内装の石膏ボードを取り付けることが一般的です。一方、台湾での窓周りは額縁を設けず、サッシ面までモルタルを塗り込み、塗装して仕上げることが一般的です。
この違いがあるために、台湾で日本的な納まりを実現したいと木製の額縁を設けることを提案したことがあります。しかし、これは内装業者から猛反対を受けました。彼らは、この様な木材を窓周りに取り付けると、それは必ず失敗すると主張するのです。木製額縁は、窓周りからの水分を吸って膨らみ変形を起こし、それが原因で曲がったり外れたりする。絶対に設けるべきでないと確信を持って説得して来ました。
最終的に、上枠と左右両側は枠なしとし、下面だけは額縁がないとモルタル面に塗装だけでは、汚れが溜まりやすいという理由で設けることにしました。
この様な提案でさえ、猛反対を受けます。それは、台湾の現場で起こったトラブルを根拠としているので無碍に無視するわけにもいきません。美観と性能とコストのバランスをとって、お互いに納得のいく結論を模索する必要があります。
この窓周りの問題については、外部のコンクリートに防水をするという施工規範を見たことがあります。また、実際に窓周りがモルタル下地の上に塗装仕上げとなっている場合、塗装がハゲている実情をみると、窓周りで外部の水分が内部に染み込むという事態は、台湾では大いにあり得るのであろうと考えています。
外部の木製手すりとウッドデッキ
台湾の山に入ってハイキングをしていると、外部空間に木製の手すりやウッドデッキを使っているケースをよく見ます。そして、これらの本物の木を使った材料はほぼ全てトラブルに見舞われています。手すりは腐食が進みボロボロになっており、ウッドデッキは多くの場所で底が抜けてしまい、穴の空いている危険な状態になっています。
ごくたまに、表面が硬い含浸処理を施しているもの、硬質の南洋材を使っていて無事なものを見ることもありますが、それは本当にまれですね。大部分は腐りかけている状態です。
未補修の日本家屋の状態
台北の街を歩いたり自転車を走らせていると、少なくない日本統治時代の木造住宅の廃墟を見ることがあります。それは、使われなくなった建物が急速に劣化していくということをまざまざと感じさせる、悲惨な状況です。
これは、特に冬場の湿度も高い北部で被害が大きい様に思います。南部の嘉義や台南で見る木造建物は、気候がカラッとしているからでしょう、比較的健全なのですが、台北で見るそれらの建物は、湿度と植物にやられて屋根は崩れ落ち、内部の柱が露出している。壁はひしゃげて斜めに変形しているといった具合です。
屏東の勝利星村などでは、改修工事中のこれらの木造宿舎の様子を見ることができます。この改修工事というのは、壁も屋根も全て撤去し、柱と梁、屋根の架構だけ残して全部作り替えるというとても大規模なものです。
本格的なものでは、基礎を作り直して、上部架構を全て取り付け直す工事をやっているものも見たことがあります。
この様な工事の様子を見ると、木造の建物の改修とは言っても相当なお金がかかっているものと想像されます。鳳山で見た黃埔新村では、国が予算を出して、元のままの建物になる様に、忠実に改修を行ったと聞きました。
木造建築がリノベーションされるのは本当に良いことなのか?
上に説明した様に、建築生産の現場では木材を使うことに対して、とても神経質になっている、敬遠されていると言っても良いと思います。そして、木造の住宅の運命は、街中で見る残骸となっている建物群を見ても明らかです。高温多湿の台湾の環境では木造の建物はとても痛みやすい。
この様な木造建物の運命を考えると、僕には現在台湾でたくさん見られる、日本統治時代の木造宿舎を多額の費用をかけて修復する状況は、大きな問題をはらんでいると思えるのです。
日本人からみると、日本統治時代の建物をとてもよく保存修復していて、とてもありがたいのですが、その修復にかかる費用は膨大なもので、それを維持するにもお金がかかる。そして、それらの木造の建物はどの様に手を入れても、コンクリート造や鉄骨造の建物の様に、100年というオーダーで健全に使い続けるわけにはいかないでしょう。それよりもはるかに早い時点で解体撤去しないといけなくなります。
日本で木造建物を修復保存する場合を考えても、そのことは明らかだと思います。日本でどの様な木造建物が修復或いは保存されているかと考えると、それは、歴史遺産として国や公共自治体から認定された神社仏閣、明治期の歴史的価値を有する大規模な邸宅など、ごく限られたものでしょう。台湾で見られる様な、ごく一般的な宿舎が修復の対象になっているということはまずありません。日本ではこれらの建物は、大金をかけて修復保存するべき建物とは見なされていないということです。
では、何故台湾ではこの様な木造建物のリノベーションが盛んに行われているのか。このことについては、次回検討してみます。