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【中華民國とアメリカ】(その一)

以前、ネットサーフィンで、中華民国が禁書にしていた本の記事を見つけました。それは、中華民国の首脳陣がどの様にして中国の辺境から台湾にやってきたのかという詳しい事情が書いた記録です。蒋介石の国民党が主体的に選び取った方策ではなく、アメリカに説得させられ、やむなしとして採用された決断だったということらしい。

これは、台湾に来たばかりの国民党にとってあまり公にしたくない事情でした。国民党が台湾を治めるにあたって、敗残の軍をアメリカの助けによって何とか台湾に連れてきたという様な風には受け取られたくなかった。そのため、その様な政治、軍事的な事情を述べた本は禁書にされてしまったそうです。

ネットの記事は、そのような資料があることを明らかにし、当時の国民党と中華民国、蒋介石の政権の現実を直視しようというものでした。

「意外的國土」

その様な記事を読んで、この時代の中華民国のことが気になり調べたところ、「意外的國土:Accidental State」という本があることを知りました。これは、蒋介石が台湾にやってくる過程のことを、様々な偶然が重なって起こったものだと具体的に描いたものです。

台湾における国民党は、日本との戦争の戦勝国として振る舞っており、それは事実です。しかし、国共内戦後の国民党が台湾に流れ込んでくる事態は、また別次元の出来事で、その後朝鮮戦争で台湾を共産中国に対する橋頭堡として利用しようとアメリカの政策転換が図られるまでは、国民党の運命は風前の灯であり、とても流動的であったという歴史を、丁寧に描いています。

意外的國度

光復後のアメリカ指導の時代

台湾の歴史においては、清朝による統治の後、日本統治時代になり、その後中華民国の時代になるという経過を学びます。一見して中華民国は独立国、第二次世界大戦の戦勝国として自律的に政治を行っていた様に感じられますが、実はそうではなかったのではないか。僕は、今は中華民国に統治され始めた時代の台湾は、アメリカによる強い影響下にあったと考えています。それは、まるで第二次世界大戦後の日本が、アメリカにより占領されていたのと同じ様にです。

日本は敗戦国で、直接的にマッカーサーの占領軍による統治を受けています。ですので、そのことが明らかなわけですが、中華民国は第二次世界大戦の戦勝国であり、アメリカは占領軍として台湾に駐留したわけではありません。
しかし、光復後の中華民国は、経済的にも技術的にも劣悪な状態で、アメリカの援助を必要としていました。そしてアメリカによる技術支援、経済支援が大規模に行われています。
特に朝鮮戦争勃発後、ベトナム戦争の継続している期間、台湾は沖縄とともに、アジアへの軍事的プレゼンスを確保する、アメリカ軍の前線基地となりました。この状態はアメリカと中国の国交が回復し、中華民国とは断交となるまで続きます。

この様な、中華民国とアメリカの関係を、時系列に沿って整理してみようと考えています。その様に考えることで、今後のアメリカの台湾、中華民国に対する関わり方がどのように変わるのか、変わらないかの判断の根拠を考えたいと思います。

この文章を書いていて思ったのは、アメリカと中華民国は、かつて交戦状態になったことがないということです。100年以上に渡り友好関係を維持しています。日本も中国もイギリスも、アメリカとの戦争を経験していますが、中華民国とアメリカの間に戦争は起こっていません。断交はありましたが、戦争が起こったわけではありません。平和な関係が維持されています。
それは、歴史的な諸々の条件もありますが、太平洋のシーパワーに起因する地政学的環境が同じであることが主な理由でしょう。

以前「アメリカと台湾」という記事で、アメリカと台湾がとても似通った歴史的な経過を辿っていて、よく似た面がいくつもあると書きました。今回は、時期を絞って中華民国とアメリカというテーマで考えたいと思います。


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