慈湖紀念雕塑公園
三峽に住んでいる友達が、石門水庫に行ったついでに慈湖まで連れて行ってくれました。ここは蒋介石の遺体が今もって埋葬されずに安置してある場所として有名です。
そこまでは知っていたのですが、実際に行ってみてビックリ。たくさんの蒋介石の彫像がそこには置いてありました。それはとても異様な風景で、台湾人の蒋介石に対する複雑な想いを表していると感じました。
緑豊かな慈湖のほとり
慈湖のあたりは、石門水庫を超えて山の中に入るので、自然の様子は平野部とはだいぶ異なっています。緑深い山の中というイメージです。
そんな自然の中、慈湖公園が整備されています。この土地は蒋介石の故郷、浙江省の風景に似ているため、彼のお気に入りの場所だったそうです。そこに、蒋介石の遺体が埋葬されずにそのまま置かれています。
たくさんの蒋介石像
友達に連れられてこの慈湖公園の入口に来ると、エントランスの周りに異様な風景がありました。彫像が所狭しと置いてあるのです。公園に彫像が置いてあると言っても、一つから三つ程度、象徴的にポイントに置いてあるのが普通です。それが百体を超える数で置いてあるのです。
そして、それを近寄ってみるとさらに驚きました。それら全てが、蒋介石の像だったのです。公園の資料には300体の蒋介石像が置いてあると書いてあります。これは一体どうしたことだと、思わず吹き出してしまいました。
台湾では蒋介石の像を見る機会がたくさんあります。中正紀念堂のものが最も有名でしょうが、それ以外にも著名な公園には、幾つも置いてあります。僕の記憶に残っているのは、基隆の山の上の公園にあったもの、今回石門水庫を見学した時にダムの傍らに立っていたものなどですね。
この慈湖公園に置いてあるものは、台湾の各地の公立の学校から送られてきたものなのだそうです。各地の公共自治体の管理する小学校、中学校、高等学校に、かつてはどこにでも蒋介石の像が置いてありました。しかし政権交代が起こり、民進党が政権党になったこと、かつての国民党時代の歴史に対して批判的な見方も広がる中で、これらの蒋介石の像をキャンバスに置くのをよしとしない学校が後を絶たないそうです。強権主義の象徴として嫌われているのでしょう。
そして、行き場を失った蒋介石の像がこの慈湖の公園に集められて陳列されている。それがこんな風景が出現している理由なのだそうです。
この様子を見て、台湾人は蒋介石に対してとても複雑な感情を持っているのだなと感じました。台湾は今持って自国のことを中華民国と言っています。建国の父は国父、孫文。そしてその志を継いで中国大陸で北伐を重ね、中華民国による国土統一を図った蒋介石。しかし、その同じ人物が台湾にやってきて、白色テロの時代をもたらし、国民党政権で独裁政治を行った。
この様な人物に対して、台湾人はとても反発する気持ちを持っています。桃園国際空港は、昔は蒋介石国際空港と呼ばれていました。中正紀念堂の牌樓には昔は蒋介石の残した扁額が題されており、「大中至正」と書かれていましたが、今は「自由廣場」となっています。最近では、中正紀念堂に蒋介石の像を置くべきでないという議論もあるそうです。
一方、外省人にとっては、今持って蒋介石は彼らを台湾に引き連れてきたリーダーであり尊敬すべき人物です。僕をこの場所に連れてきてくれた友人も外省人の二世でした。
台湾の社会では、この様に蒋介石に対する感情が分裂していて、それがこの遺棄された蒋介石像を廃棄するには忍びず、彼の遺体の近くに残そうということになったのでしょう。それが300体にも上っている。この様な彫像は4000体を超えて作られているので、比率としては一割未満ではあります。
僕は見ていて、何とも言えない哀れな感じを持ちました。蒋介石の為したことを客観的に歴史として評価するにはまだ時間が足りないということでしょうか。しかし、評価が定まったとしても、これらの彫像が元の学校に戻ることはないでしょう。そうすると、これらは廃棄処分を執行猶予するために暫定的にここに置かれているのでしょうか。
もしかすると、ある歴史的な段階で蒋介石の遺体もきちんと埋葬され、その段階になるとこれらの彫像も合わせて処分されるのかもしれません。
蒋介石はここに眠っています
蒋介石の悲願は"反攻大陸"、大陸に攻め返すことなので、自分の遺体は浙江の故郷に埋葬してくれと遺言があったそうです。それがために、彼の遺体は現在火葬に付されず、遺体のまま残されています。
数年前、この遺体を納めている棺に対し狼藉を働かれた事件が起こり、それ以降蒋介石の棺を直接見ることはできなくなっています。家内が学生の頃は、学生皆で見学に行ったとのこと。
いつの日か、どのような形であれ、蒋介石がきちんとした形で埋葬される、そういう日が来て欲しいと思いました。
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