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台湾の神様に助けられた話(その二)

2019年3月、屏東でランタンフェスティバルが開催されるというので、二泊三日で屏東に行ってきました。ランタンフェスティバルは2日目に行くことにして、1日目は五溝水という清朝時代の客家の村落を見学し、午後2時に里港の家族のところに合流する計画を立てました。その時の事です。


屏東五溝水にて

この日、朝早く新幹線で左營に到着。台鉄で竹田まで行って、そこにある池上一郎博士文庫を見学。すぐに潮州駅に向かいました。目的地はそこから内陸部に入った五溝水。ローカルバスを見つけて、五溝水に向かいました。
この村落は、清朝時代の様子を色濃く残しているとして紹介されているところです。これは、逆に捉えると、開発から取り残された古い村であるということでもあります。村はローカルバスの路線からは外れており、ずっと離れたところでバスを降り、30分ほども歩いてようやく五溝水に辿り着きました。
この村は、確かにいにしえの農業集落の様子をそのまま残しており、街中の商業施設をリニューアルした老街とは違った、素朴な建物の在り方が好ましい、とても素晴らしいところでした。

ヒッチハイクを敢行

ここまで、順調に進んでいたフリーツアーでしたが、ふと気がつくと時間が12時になろうとしていました。家族と号流する里港は屏東県の中でも最も北にあり、屏東市からでさえバスで30分もかかる場所になります。そこに午後2時に着くというのは、潮州にバスで戻ったのでは間に合わないと気がつきました。そもそも、余りにローカルな場所なので、この村からさっきのバス停までたどり着けるのかも不安でした。

それで、今日はヒッチハイクを敢行しようと意を決しました。せめて五溝水から台鉄のどこかの駅に連れて行ってもらえれば、後はなんとかなる。屏東駅からバスが間に合わなければ、タクシーで向かおうと、そのような算段でした。

五溝水から屏東まで16km、車で25分の距離です。

ヒッチハイクというのは、昔イギリスでたくさんやったことがあります。若気の至りで、ローカルの移動を全部ヒッチハイクでやろうと、最大一日8台、一か月の間合計で50台もの運転手さんにお世話になりました。
ですが、日本や台湾ではヒッチハイクはやったことがありませんでした。逆に車で運転している時に、ハイカーを乗せたことはありますが、ハイカーになったことはありませんでした。
しかし、この日はどうしようもなかった。表紙の写真にある交差点で、北に向かう方向を確認して手を振り始めました。

10台ほどの車が通り過ぎた後、一台の乗用車が停まってくれました。運転していたのは40歳くらいの男性。この近くの泰武鄉で診療所を開いているお医者さんで、午前中の診察を終え、屏東市の自宅の方に向かうところでした。方向が同じなので屏東駅までのヒッチハイクをお願いすることにしました。
車の中で色々話をしましたが、ちょうどお昼時だったこともあり、お気に入りのレストランに連れていくと言ってくれたので、ご馳走になりました。タイ風のチキンライスを食べさせてもらいました。

里港の実家まで送り届けてもらう

その後、この際里港まで連れて行ってあげようと言い出したので、しばらく遠慮してましたが、土曜日の午後で時間があること、里港には行ったことがあり土地勘があるなど言うので、言葉に甘えて屏東市から更に30分北の家内の実家まで連れて行ってもらうことになりました。
途中で、彼の家にも寄りました。娘さんとの用事があると言うことで、家の中に入り、少し待たせてもらいました。家の内装はとても立派で、中にはアップライトのピアノも置いてありました。それは娘さんが弾くものだそうです。流石、お医者さんの家はすごいなと感心しました。出がけに彼の診療所の名刺をもらいました。今度屏東に来ることがあれば連絡下さい。付近を案内しますとのことでした。彼の名前は葉明勳と言いました。

里港の住所は、電話で義理の妹と直接話してもらい確認して送り届けてもらいました。家族と約束した時間ちょうど、2時に到着することができました。家では義理の妹さんと弟の奥さんが出迎えてくれましたが、葉さんは僕を降ろすとすぐに立ち去ってしまいました。2人はお礼の品を用意していた様子でしたが、仕方ありません。その後、里港の家族に連れられて三地門の霧台に行きました。

お母さんが知っている?

その夜、食事を終えて実家で寛いでいる際に、僕の五溝水から里港までのヒッチハイクのことを、妹達が皆に話してくれていました。屏東にはこんな優しい人がいる、彼女達も少し誇らしい気持ちだったのでしょう。
こんなお医者さんですと、手元にある名刺を皆に見せたところ、なんと、お母さんがこの診療所に行ったことがあると言い出しました。なんでも、この葉さんの診療所は口コミで有名らしく、亡くなったお父さんが痛風で痛みが激しい時に、2人でわざわざ泰武鄉まで出向いて、見てもらったのだそうです。それも、治るまで数回行ったのでよく覚えていると。家族は、やはり優しい先生なんですねと感心していました。

お父さんが見守ってくれていた

僕は台北に戻ってから、葉先生にお礼の手紙と、日本のお菓子を診療所宛に送りました。こんなに良くしてもらって、感謝の気持ちでいっぱいですと。実際に、僕は台湾で沢山の好意を受けていて、数えきれないくらいですが、これほどの事をしてもらったことはありません。ほんの午後の数時間、五溝水からヒッチハイクで里港まで連れて行ってもらった。しかし、このことはこれからもずっと忘れないでしょう。

そして、僕はこれは偶然ではないと考えています。五溝水で路頭に迷った僕の魂を、亡くなったお父さんが感じ取って、そして葉先生に伝えてくれた。それがために、僕は里港まで送り届けられたのだと、その様に信じています。

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