僕が電子書籍やChat GPTに興味がない理由
世の中では、今は電子書籍とChat GPTがとてももてはやされていますが、僕にとっては、どちらもほとんど興味を惹かれるメディアではありません。基本的に、僕がとても天邪鬼な、オールドタイプの人間だからだと思うのですが、その理由を書いてみます。
電子書籍
僕が興味のある本は、歴史、ノンフィクション、科学読物などが多く、小説やフィクションの類は、ほとんど読みません。小説は読んだとしても、司馬遼太郎や吉村昭の書くような、史実に則った歴史小説がほとんどです。
本屋に行っても、探すのは中国の明清交代の時代や歴史人物、地方史など。それも、最近は日本語ではなく、中国語の原書がほとんどです。今、最も面白い本が見つかるのは、台湾の大型書店の人文書コーナー、或いは台北に数軒ある簡体字書籍の本屋さんです。
こんな本が好みの人間にとって、電子書籍のラインナップは、ほとんど一冊も引っかからないのです。全く欲しいと思う本がない。これが、僕が電子書籍に興味がない理由です。
そんな風に考えると、世の中の電子書籍というのは、出版社が出している本のうち、売れ筋のごく一部しか商品化していないのだろうと思います。世の中の圧倒的多数の本は、電子書籍になっていない。そんな風に思います。
そして、世の中的にはニッチなテーマにしか、僕は興味がないので、そんな本は電子書籍にならないのです。
Chat GPT
1年ほど前にChat GPTが流行り始めたころ、僕も試しにChat GPT先生に質問してみました。僕の知りたいのは、中国の歴史人物についてなので、鄭成功の息子鄭經についてだとか、その息子の鄭克塽についてなどです。
そうしたところ、鄭克塽についてはChat GPT先生は、丸切り別の人物の名前を示してきました。それは、歴史上存在しない人物でした。僕は先生に、そのような人物はいません。僕が知りたいのは、鄭克塽についてです、と僕の知っている内容を小出しにしてみました。そうしたら、先生はそうですね、そのような人物もいましたと返してきました。そして、あらためて質問を投げかけると、また突拍子もない返答が返ってくるのです。僕は先生にまた、間違いを指摘しました。
しかし、この様なやり取りを何回かして、僕は歴史人物について先生に尋ねるのをやめました。どうもChat GPT先生は、この様な歴史のディテールについて何も知らないらしい。
それで質問の内容を変えてみました。台湾の鉄道についてだとか、宜蘭で起こったプユマ号事件についてです。そうしたところ、Chat GPT先生は、とても詳しい説明を膨大にしてくれました。
先生はこういう話題になると、とても良い回答をしてくれると思いました。
しかし、それ以降、僕はChat GPT先生に歴史上の僕の知りたいことについて尋ねるのはやめました。ディテールに入ると、先生はそこまでの内容は把握していないと判断したからです。僕の方が先生よりも詳しい。
僕の知りたいことを教えてくれない
という様な具合で、電子書籍には、僕が読みたい様な本が皆無、Chat GPTは僕の知りたい様な歴史のディテールについて情報がないというのが、今の僕のこの2つのメディアに対する考えです。全くニーズに応えてくれない。神田の中国語書店や古書店に行ったり、台北の重慶南路で書店巡りをした方が、よほど僕の興味を惹く本に出会えます。
そもそも、電子化されているテキストというのは、世の中に出回っている文書資料の、一部なのではないでしょうか。ですので、その一部の資料だけを調べてみても、全体を理解するには限界があるのではないか。そんな風に思います。
しかし、自分に全く概念のないことに関して概要を手っ取り早く知りたいといった時には、Chat GPT先生は、オールマイティーに答えてくれるでしょう。初歩的な内容や、世の中で話題になっているテーマ、全く手の出ない未知の外国語の資料などについては、先生の回答スピードと守備範囲の広さは相当に評価して良い様に思います。
という様な具合で、僕は今後も電子書籍は買わないでしょう。Chat GPTはテーマによっては、質問をして使える回答を受け取ることができる様に思いますが、あまりポピュラーでない歴史人物の様な場合は、今のところ調べるには不適当なメディアだと、その様に考えています。
ネットでの検索作業と同じ様ですね。ネット上でキーワード検索をしても、なかなか自分に引っ掛かる内容の記事はありません。Chat GPTに聞いても、ソースは同じネット空間な訳ですから、自分の知りたい回答を示してくれるわけがありません。
現在の電子書籍やChat GPTは、その様な状態なのだと理解しています。