【明清交代人物録】洪承疇(その二十五)
弘光王朝が崩壊した段階で、ドルゴンは弟のドドを北に呼び戻し、中南部の覇権を完成させるために洪承疇を派遣します。洪承疇は清朝の漢族幕僚として、ドルゴンの信任を受けて、征南軍を指揮するようになります。
征南軍の再編成
前回書いたような、剃髪令の実施による混乱は中国南部においては、全体の状況の中ではごく一部に発生した問題であると、ドルゴンは考えたのでしょう。そして腹心の部下である弟ドドを南京から北京に戻します。この時期、清朝は北京を首都に定めて新たな王朝としての再スタートを図っています。内政外政共に多難の折、ドドを手元に置いて政権の補佐を行わせ、征南軍の統括は別の人間にさせようと考えたのでしょう。
新たに南に送られることになったのは、満州族の王族としては、ドロイ・ベイレ(多羅貝勒)のルクトフ(勒克德渾)をトップとして平南大将軍に任命し、満州族のグサ・エジェン(固山額真)のエチェン(葉臣)を補佐官としてつけました。これは軍事上の手段に訴える際には、この満州八旗の軍をうごかし、招撫策の総指揮は洪承疇が行うことになったのでしょう。
そして、ドルゴンにより招撫策を主とし、軍事力による征服は最終手段と指示を受けている状況では洪承疇の動きこそが征南軍の主要な活動になっていきます。
ドルゴンの書いた詔勅
ドルゴンが、後洪承疇を南に派遣するにあたり発した詔勅の記録が残っています。これを読むとドルゴンの洪承疇に対する信任と、清朝の南方を支配におくための基本的な政略方針がよく分かります。
「朕は、江南地方がすでに我が清朝の元に服し、近い将来他の省も同じ様に我らの元に降るものが多いと考える。未だ我らに服さず或いは旗幟を明らかにしていない者については、汝の活躍に期待する。汝には、江南の各地を招撫する軍務と兵站の任務を命じる。しばらくの間朝廷での任務を離れ、江南に向かい我が清朝の威徳を広めよ。近日中に恩赦を実施する。新しく我が王朝に帰順した人民への恩恵とする。満州族の兵、直隷省の兵、そしてそれぞれの部隊長は、汝がグサ・エジェンのエチェン及びこれを管轄する将領と協力し、統括せよ。法に従わない人民や各八旗の兵がいたら、まずこれを報告し、法に基づき処置するように。江南の人民に危害を与えないようにせよ。各省の帰順した者が人民の害となる場合は、これを除外し速やかに前後策を講じよ。帰順に応じない者については、文書を送り二度三度と説得に努めよ。それでも応じない場合には、軍を差し向けても構わない。戦いになったとしても平和裡にことを納めることを優先して考えよ。軍の派遣については平南大将軍ルクトフンと協議して決定せよ。招撫を行う土地は山深く谷の奥の地もある。そのような土地では我々の布告も届かず、無知の輩が騒ぎ出すかもしれない。その場合は、説得の使節を派遣し彼らを解散させる。そして、彼らがこの説得を受け入れない場合、彼らの武装を解除せよ。降伏した南方の水軍と陸軍の軍隊は、各地の督撫に移管し、その中から精鋭を選りすぐって満漢の八旗軍に参加させ、水軍を育てる。今後の軍編成の際に使い道を考える。軍資金と糧食は各地方から供給する。福王の準備した軍人は、降伏した後には老人あるいは病弱者が残っているだけだろう。彼らは軍装を解き、各督撫の判断で適切に安置せよ。この命は必ず実施すること。国を起こすにあたり人民の生活の利害はとても重要である。随時命令を出して改善を図っていく。山林に引きこもっている明の知識人で徳のあるものは、正式な手続きをとって訪ね、北京に招聘する。軍人として働いていたものは、上司や部下からの聞き取りをしてその経歴の事実を確認する。文武に秀で、人民を保護する実績のあったものは特に推薦せよ。汚職の甚だしいもの軟弱な儒者はこれを採用することはない。速やかに彼らを採用しない旨、上奏せよ。時間を無駄にしてはならない。軍事行動の際、兵站を疎かにし軍機を逸したもの、敵に臨み怯んだもの、罪のないものを殺し功を偽ったもの、軍威を以て人民から略奪をしたもの、軍糧を私有したもののそれぞれについては、文官で五品以下、武関では副将以下は全て軍法によってこれを処理する。鎮と道などの官員は上司に相談する様に。江寧、江西、湖廣及び将来的我々に服する各省では、全て同じように対応すること。ここに書き尽くせていない事柄については、汝の判断で処理することを許可する。
汝は、忠節の士を助け、誠を公に示し、広く民間の知識を集め、我が王朝の大きな方針を守り、様々な現場の問題を処理すること。
汝が徳威を以て南部の各地を服属させることを期待する。朕はいずれにしろ何時の功績に対して宝剣を以て感謝を示すことになるだろう。決して仕事を疎かにし、軽率な判断をし、思い込みで相手方を侮ってはならない。重要な任務を任せるのでその意を汲んで南部に赴いてもらいたい。
朕の意を汲んで、これを遵守する様に。」
洪承疇、南へ
上に記載した詔勅から、ドルゴンの意図が次の様に読み取れます。
洪承疇を信頼し、中国南部を平定する重責を担わせるのにふさわしい人材であると考えている
彼の使命は、中国南部を軍事的に攻略することではなく、清朝の武威を示し平和裏に支配下に置くこと。招撫策を主体とし、軍事に訴えるのは最終手段であると書いています。
更に洪承疇が南部で活動するにあたっては、各地方政府にこれを援助するよう布告しています。最大の便宜を図れと最高権力者からのお達しが出ている状態です。
ルクトフというのは、満州族の皇族出身で、平南大将軍として任命された時点では26歳の若者でした。この皇族に満州族出身の老練な軍人であるエジェンをつけ、漢族の重鎮である洪承疇もこれを補佐する。この様な満漢一体となった、優秀な人材を派遣する。そうすれば中国南部の平定は問題なく進むだろうというのがドルゴンの算段でした。