【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第六章~ (5)
(5)
夜の帳が落ちて身を切りつけるような冷たい夜風が吹きすさぶ中、6部屋だけの古いアパートの階段を駆け上がる音だけが辺りに響き渡った。男は一番突き当りの206号室の前まで速足で歩くと、誰も注視している者などいないのに、辺りを注意深く見渡してからドアを2回、小さくノックした。
同じアパートの住人に人が来たことを知られたくないから、インターホンは押さないようにとメモに注意書きがしてあった。それに、ノックを合図にすることで誰が訪れたのかわかるようにするためでもあったようだった。
ノックから少しして、鍵とチェーンロックが外れる音がしてドアが開いた。
「こんばんは、櫻木さん。お待ちしていましたよ」
中から現れたのは色白な肌をした小太りの中年男性、望月だった。まるで男が来るのがわかっていたかのように不気味な笑みを浮かべて、櫻木一桜の父親である櫻木世吾(さくらぎせいご)を部屋に招き入れた。
部屋の中は薄暗く、明かりは裸電球のみだった。まさか今の時代に裸電球とは、と世吾は思った。そして、狭い七畳一間の真ん中に黒く日焼けした男が胡坐をかいて座っていた。以前、望月と一緒に世吾の家に訪れた寺塚だった。
世吾の姿を確認した寺塚は、日に焼けた顔をにんまりとさせた。
「よお、やっぱりきてくれたんだな」
寺塚に手招きをされた世吾は、靴を脱いで三和土に上がると、寺塚の前に置かれた座布団に腰をおろした。何気なく部屋を見まわした世吾は、違和感を感じた。部屋に生活感がなく、物が何もなかった。唯一あるものは座布団と、赤々と光るハロゲンヒーターだけだった。
「なんもねえ部屋だろ? あらかた処分しちまったからな」
「え、ということはここは寺塚さんの……」
「そう、俺と娘のマイスイートホーム!」
そう言って笑う寺塚は両腕を大きく広げた。しかし、すぐに無表情になって腕をだらんとおろすと、「一年半前まではな」と暗い顔でつぶやいた。
「奥さんは……」
「嫁? ああ、もうとっくの昔に亡くなっちまってな。それで娘が唯一の生きがいだったのに、今はなーんもなくなっちまったワケだ」
世吾はなんと声をかけたらよいのか、わからなかった。一人娘の一桜を亡くしたが、世吾には支えとなる妻の春子がいる。それに比べて、この男には何もない。生きる目的すらも見失ってしまったかのような悲壮感が、寺塚からは色濃く漂っていた。
「だけど、今のあんたは俺たちと同じ気持ちなんじゃないのか?」
寺塚の視線が、世吾の握っている封書に向けられていた。世吾が奥歯を嚙みしめるのを見た寺塚は口角を歪ませた。
「ここに書いてあることは、全部本当のことなのですか。娘が、一桜が初華ちゃんに殺されたなんて、そんな」
望月が世吾の隣に腰をおろすと真剣な表情で言った。
「櫻木さん。そこに書かれていることは紛れもない事実です。なにせ、阿久津初華本人が書いたのですからね。なんだったら、筆跡鑑定にだしてもらっても構わないのですよ?」
なにかを思い出したかのように目を見開いた世吾は、握りつぶしていた封書を掲げて望月と寺塚に問いかけた。
「この、赤津猪鹿蔵とはなんなのですか。なぜ、宛先に見覚えがない手紙が私の家のポストに入っていたのですか」
今朝ポストを覗いたらこの手紙が投かんされていた。宛先を確認するとまったく覚えがない名前だった。しかし、封筒の裏をみると、宛名を書いた人物とは明らかに違う人間の文字で「櫻木世吾様」と書かれていた。さらに気になったのは、封筒に切手が貼られていない事だった。当然、消印もない。つまり、この手紙は郵便で配達されたのではなく、誰かが家のポストに直接投かんしたという事になる。
「赤津猪鹿蔵とは、我々のことです」
「われわれ……?」
「まあ、正直に言うと赤津猪鹿蔵という人物が誰なのかは私にもわかりません。ただ、その存在を利用して、私が阿久津初華に手紙を出したのは事実です」
「そのお返事がコレってわけだ」
そう言って寺塚は尻ポケットから世吾と同じ封書を出して見せた。封筒には同じく赤津猪鹿蔵様とボールペンで書かれていた。
「もちろん、私にも届いています」
望月は封書を畳に置いた。これにも赤津猪鹿蔵様と書き記してある。
「この方法を思いついたのはカグラさんなんだよ」
「カグラさんが……?」
「そして、手紙を書いたのは私です。以前にも話しましたが、心理学を少しかじっていたことがあるのでね。櫻木さん、ロールレタリングというものをご存じですか」
「ロールレタリング?」
「正確には、ロールレタリングを参考にしたカウンセリングと言ったほうが正しいですかね」
望月の説明によると、ロールレタリングというのは筆記療養と呼ばれるもので、架空の受取人を想定して手紙を書くというものだった。書いた手紙は投かんせず、本来は架空の受取人が返信する内容の手紙も自分が書くことによって感情の流れや思考を受け止めてコントロールし、自分自身を見つめなおすという一種の自己カウンセリングらしいのだが、カグラはこのカウンセリングの特性を利用することを思いついたのだという。
「もともと手紙というものは、書いているうちに自分の内面や感情、出来事について素直にさらけ出すという特性があります。日記も同様です。まあ、ここまでうまくいくとは思いませんでしたけどね」
口元を歪ませた望月は置いた封書を手で弾いた。
「おかげで、娘の死の真相がわかったわけだ。ご丁寧に謝罪文まで添えられてな」
「真相……ですか」
「櫻木さん、わたしたちの娘はね、阿久津初華があなたの娘さんを殺す瞬間を目撃したから口封じで殺されたんですよ。櫻木さんの娘さんをいじめて、自殺に追いやったから、わたしらの娘を殺したと言うのは真っ赤な嘘だったんです。他にも理由があったようですが、手紙にはっきりとそう書かれていました」
「なんだって……」
「そして、おれたちの娘に一桜ちゃんを殺したことを心尊ちゃんに告げ口されたと思ったあいつは、心尊ちゃんの家を燃やして全員殺しやがったってワケだ。酷い話じゃねえか。とどのつまり、あの女は警察に捕まるのを恐れて五人も殺したってことだ。それにしても、一桜ちゃんを殺しておきながら殺害動機をおれたちの娘のせいにするなんて、とんでもねぇクソアマだな」
世吾は信じられなかった。確かに手紙には口論の末、一桜を谷に突き落として殺してしまったと書かれてあった。寺塚莉緒や望月陽葵を殺害した本当の理由が娘の殺害現場を目撃されてそれを口封じするためだったなんてショックだった。同じ理由で楠田心尊やその家族までさえ殺害したなんて。
世吾はふたりの手紙を見せてもらったが、彼らが言っていることは事実だった。そして、殺した3人に娘の一桜を「とられて」激しく嫉妬をしたことも書かれていた。
正直、どの理由も非常に自分勝手極まりないものばかりで、もちろん同情はできないし、怒りも湧いた。彼女がしたことは到底許せるものではなかった。「3人が一桜をいじめて自殺に追いやったから殺した」と嘘までついたのは言語道断だった。
さきほど望月が言っていたように、世吾に届いた手紙は死んだ一桜に宛てられたものだった。中学校の思い出話や、様々な出来事が書かれていた。高校での新体操のことや、娘に恋心を抱いていたということも。
まさか、一桜と初華がそんな関係だとは露にも思わなかった世吾は驚いた。しかし、一桜からそんな素振りはいっさい感じられなかった。
彼女は、今まで自分勝手な振る舞いをしてきたことを一桜に詫びていた。そして、自分と出会わなければこんなことにならずに済んだと酷く落ち込んでいる様子が手紙を通して伝わった。だが、どれだけ反省し、謝罪を述べようと真実を知ってしまった今、彼女を赦すことは断固としてできない。
しかし――。
彼女は一桜に厭な思いをさせ、苦しめ続けたことを深く反省しているようだが、果たして一桜自身はどう思っていたのだろうか。
娘が厭な思いをしたことは確かにあったのだろう。だが、果たしてそれが全てだったのだろうか。一桜は大人しくて優しい子だが、あまり友達付き合いが得意な子ではなかった。幸い、いじめには遭っていなかったようだが「無味無臭」のようなイメージはあった。
引っ越した先の中学校でどうなることかと心配をしていたが、その心配をよそに一桜ははじめて「親友」ができたと喜んでいた。あのときの喜びの笑顔は紛れもないものだった。卒業記念旅行で見せた笑顔も、聖フィリア女学院に合格したときに見せた笑顔も、どれも今まで一桜が見せたことがない笑顔だった。あの笑顔にはどれも偽りがなかった。
手紙には口論になって一桜を谷底へ突き落としたと書かれているが、口論の具体的な内容が書かれていないのが気になった。
お互いに激しい感情をぶつけあったのか? しかし、一桜が怒りを露わにしたことなど見たこともない。虫も殺せないような子だ。一体ふたりのあいだに何があったのか。出来るものなら初華に会って直接確かめたかった。
「明日の午前、われわれは計劃を実行に移します」
望月の声に世吾は顔を上げた。
「ああ、おれもそのためにこの部屋のものはすべて捨てた。おれには他に家族はいないし、刑務所にぶち込まれたら大家さんに迷惑をかけちまうからな。莉緒の私物を全部捨てるのはつらかったが、想い出はきっちり頭に焼き付けた」
「……本当にやるのですか」
「おれは失うものはなにもないが、あんたは大丈夫なのか。望月さん」
寺塚の言葉に望月は苦笑いをした。
「結局、妻には言い出せませんでした。しかし、離婚届を置いていこうと思います。妻に重荷を背負わせるわけにはいきませんから」
「そうか。まあ同意さえありゃ紙きれ一枚で離婚できるんだから、楽なもんだよな。で、あんたはどうするんだ?」
寺塚はゆっくりとした動きで世吾を見つめた。世吾は封書を固く握りしめた。
「私は……」
~第六章~ (5)の登場人物
櫻木世吾(さくらぎせいご)
自殺した一桜の父親。愛娘を亡くして茫然自失の日々を過ごしている。
寺塚國男(てらづかくにお)
初華に殺害された莉緒の父親。気が短く、娘の仇である初華を殺したい程に憎んでいる。
望月正巳(もちづきまさみ)
初華に殺害された陽葵の父親。カグラや寺塚と共謀して、娘の仇である初華の命を奪おうとしている。
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