【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第六章~ (3)
(3)
2026年2月2日
判決日まであと1日
評議室内はいつにも増して重い空気が漂っていた。明日は、阿久津初華に判決を下す判決日だ。という事は、今日中に彼女に科す量刑を決めなければいけないということでもあった。評議が開始されてから10分以上が経過しても、誰一人として口を開いた者はいない。顔を伏せては時折だれかが立てる衣擦れの音に顔を上げるという動作を繰り返しているだけだった。正直、今すぐこの部屋から逃げ出したいと思っているのは、私だけではないはずだ。
裁判長は微動だにせず、まるでマネキン人形のように正面を見据えたままだった。しかし、このままでは何も進まないと感じたのか、今日も先に口を開いたのは裁判長だった。
「みなさん、明日は被告人の判決日です。今日に至るまで評議をしてみていかがでしたか?」
裁判長の問いかけに顔を上げたけれど、わたしを含め、皆一様に暗い表情だった。まるで病人のような顔つきだ。あの傲慢な斎藤ですら、目の下に隈ができていた。この老人にも、眠れない夜があったのだろうか。
「人に刑罰を与えるというのは、与える側の心にも相当な負担を強いられるということが皆様も今回の体験を通して理解できたと思います。ましてや、今回の裁判の場合ですと懲役一年とか、執行猶予がどうとかの話ではありません。ゆえに、皆様の心の負担が如何につらいものであるかは痛いほどにわかります」
死刑か、無期か、それともそれ以外か――。
しかし、死刑か無期以外に考えられるのだろうか。被告人の生まれ育った環境や人間性であるとか、それらの状況を鑑みても、やはり被害者遺族に同情する気持ちの方が優っている気がする。それに死刑にしろ無期懲役にしろ、被告人にとって苦しい道であることに変わりはないのではないだろうか。
それにしても、誰一人として昨日の火事のニュースについて話をしない。
裁判長ですらそのことについて口を開く様子はなく、あくまで阿久津初華に下す刑についてのみ話し合うという姿勢に変わりはないようだった。いつにも増して評議室内が沈んだ雰囲気なのも、昨日の火事のニュースが原因であることは一目瞭然だった。
昨晩のニュースを見て驚いた。
まさか、阿久津初華の両親が火事で亡くなってしまうなんて。
出火原因がはっきりとわからないことから、放火の可能性があるとニュースは報じていたけれど、もし放火だとして火をつけたのはいったい誰なのだろうか。
思い当たるのは、阿久津初華に殺された被害者遺族の仕業ということだった。確証はないが、おそらく私以外の5人もそう思っているのではないだろうか。だからこそ、あれだけ鼻息の荒かった斎藤も陰惨な表情をしているのではないのだろうか。
「もう、ぱぱっと決めちゃいましょうよ! あたし、こんなのもう耐えらんない」
6人の中で最も早く口を開いたのはデザイナーの阿部だった。決められるものならとっくに決めているという、批難の視線を一身に浴びながら。
「ぱぱっとって……学級委員を決めるんじゃないんだから」
物憂げな声を洩らしたのは税務署職員の金持だった。顔色も悪く、化粧のノリもいまいちのようだった。
「しかし、評議するにしてもこれ以上何が議論できるだろうか。二択という結論に変わりはない気がするし」
フリーランスの佐々木は腕を組むと目を閉じながら言った。
「しかし、その二択のうちどちらを選ぶのかを評議するのですから、やっぱりとことん話し合うべきなんじゃないでしょうか」
サラリーマンの久保が苦しそうな表情を滲ませながら意見を述べた。斎藤は下唇を突き出して眉間に皺を寄せているだけで何も言わなかった。
「涌田さんはどう思われますか?」
また、私の意見を言いそびれて最後にお鉢が回ってきた形になってしまった。案の定、注目の的になった。私よりも先に斎藤さんに振って欲しかった。
「え、私ですか? えっと……」
注目を浴びたことで居心地の悪さを感じながら目を泳がせた。
「みんなで話し合って決めるのは、たしかにその通りなんですけど、今日中に結論を出さなくてはいけませんし、やっぱり、最後まで決まらなかったら裁判長がおっしゃられたように多数決にしたほうが」
そこまで話したところで、皆腕を組んで唸った。なんだか間違ったことを発言してしまったような気がした私は、そのまま言葉を切った形で発言を終えてしまった。
「涌田さんが今おっしゃられた通り、結論が出ない場合は多数決で決めることになります。もちろんではありますが、裁判員の方の多数決のみで決定とはなりませんので、我々裁判官も多数決に参加します」
そう告げると裁判長は円卓を見まわした。
「もし、これ以上評議をしても結論が出ないとお考えであれば、いますぐに多数決をして決めることもできますが、いかが致しますか?」
裁判長の言葉にみんなは顔を見合わせた。
「多数決を行うかどうかを決めるための多数決をするというのは回りくどいので、いますぐ量刑について多数決をするか、それとも評議を続けるか、どちらかでお願い致します」
二者択一を迫られ、私は息を飲んだ。
「多数決……するか」
今日はじめて斎藤が口を開いた。
「これ以上、話し合っても時間ぎりぎりまで結論を先延ばしにするだけだろ。どっちかを選ぶのは決まってるんだから。だったら、今やろうが、後でやろうが変わらんだろうよ」
眉間に皺を寄せる斎藤に裁判長は視線を向けた。
「斎藤さん。確かにその通りでもあるのですが、私が言いたいのは本当にもうこれ以上議論する必要がないか? ということです。それはつまり、ここで終わらせても本当に後悔はしないか? ということです。あとになってやっぱりもう少し議論をすればよかったとか、もう少し考えてから多数決をすればよかったとか、そんな悔いを残して欲しくないのです」
確かに裁判長の言う通りかもしれない。ましてや、殺人犯が相手とはいえ人の生き死にを他人が勝手に決めるのだ。今すぐ多数決をして、本当に後悔はないのだろうか。
裁判長の言葉に、皆頭を抱えて悩むかと思われたが、結論はすぐにでた。
「斎藤さんの言う通り、多数決しよう」
きっぱりと言い放つ佐々木に久保が驚いた表情を向けた。
「本当に、今から多数決するんですか……?」
「裁判長の言うことも確かにその通りだけれど、なんというか、もう苦しいんですよ。この状況が」
阿部もうんうんと頷いていた。阿部の顔もなかなかに酷いもので、寝不足の日々が続いていたことが窺えた。
「そう……ですね。本当は最後までとことん話し合ったほうがいいのかもしれませんけど、それはそれで苦しい気もしますし、それに最後まで議論したからって、後悔しないとは限りませんし」
金持が言っていることも、もっともだった。
仮に最後まで議論をしたとしても後悔するときは後悔するだろうし、「最後まで議論したのだから仕方がない」と無理やり自分を納得させるというのは、なんだか言い訳のような気がした。
「涌田さんはどうですか?」
やっぱり私が最後になった。
「私も、多数決で良いと思います。これで被告人の運命が決まってしまうのかと思うととてもつらいですけど……」
そう言っておきながら、なんだかやり切れない気持ちだった。彼女の両親は昨夜の火事で亡くなってしまっている。彼女はそのことを知っているのだろうか。いろいろな感情が混ざりすぎて、何が何だか訳がわからなくなってしまった。
「わかりました。それでは、被告人、阿久津初華の量刑について今から多数決で決めたいと思います。よろしいですね?」
全員が姿勢を正して裁判長に向き直ると深くうなずいた。
「今から申し上げる刑に賛成の方は挙手をお願い致します」
「それでは」と言って、裁判長は軽く咳ばらいをした。
「被告人、阿久津初華に対し、死刑の判決に賛成の方――」
~第六章~ (3)の登場人物
涌田景子(わくたけいこ)
裁判員に選出された主婦。宮田宗一郎の実母。再婚し、一人娘の穂香を授かる。
金持潤子(かねじじゅんこ)
裁判員に選ばれた、税務署職員。名前にコンプレックスがある。
久保隆敏(くぼたかとし)
勤勉なサラリーマン。裁判員に選出された。
阿部香帆(あべかほ)
デザイナー。明るい性格。裁判員。
佐々木誠(ささきまこと)
フリーランス。冷静沈着。裁判員に選ばれた。
斎藤正一(さいとうしょういち)
年金暮らしをしている老人。裁判員に選出された。頑固な老人。
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