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【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第六章~ (2)


(2)


 中村さんの箸が宙に浮いて止まっていた。
 俺は箸を咥えたまま止まっていた。
 海老原さんだけが座卓テーブルに手をついて身体をテレビに向けていた。

〈今日未明、木造2階建ての住宅から火がでていると近隣の住民から一一九番通報があり、消防が駆け付け、火は2時間後に消し止められましたが住宅は全焼し、中から2人の遺体が発見されました。現在、警察が身元を確認中ですが、この家の住民である阿久津孝彦さんと阿久津華永さんと連絡が取れず、ふたりの行方がわからないことから、遺体が阿久津孝彦さんと阿久津華永さんであるとみて現在も捜査中です〉

 3人とも絶句していた。
 初華ちゃんのお父さんとお母さんが死んだ? しかも火事で?
 中村さんがゆるりと俺に顔を向けてきた。口が開きっぱなしで間抜けな顔をしているなと思った。テレビの音が消えて暖房の送風音だけになった。リモコンを畳に置く音がして顔を向けると、海老原さんが味噌汁を啜っていた。
 俺も中村さんも顔を見合わせてから味噌汁を啜った。
 なんだかいつもより味が薄い気がした。


「あさってが、3番の判決日か」


 口を開いたのは海老原さんだった。俺と中村さんは黙々と箸を動かした。


「3番には言うなよ」


 海老原さんの言葉に俺と中村さんの箸が止まった。言えるはずがない。自分の両親が死んだと知ったら、彼女はどうなってしまうのだろうか。あさっては彼女に判決が下される日だ。いずれ両親の死を知ることになる。しかし、今伝えるべきでないことは百も承知だった。仮に、彼女へ死刑判決が下されることになったとしてもだ。


「俺らは、俺らの仕事をするだけだ」


 海老原さんの箸を持つ手が小刻みに震えていた。いつもは制服の袖に隠れている右手が少しだけ見えていて、人差し指に蚯蚓腫れのようなものが見えた。
 そこで俺は「あっ」と声を上げた。


「そういえば今日、洗濯物の返却日でしたよね。皆川さんにも口止めしておいたほうが」


「確かに。もしかしたら皆川もこのことを知っているんじゃないですか?」


 中村さんと俺はほぼ同時に口を開いた。


「心配しなくても、皆川は言わないだろうよ。言えるか? 普通。おい、お前の親父さんとおふくろさんが火事で死んだぞ。なんてよ」


 海老原さんの言う通りだった。
 食事を終えた海老原さんは「ごっそさん」と手を合わせた。


「今日の味噌汁は味が薄かったな」


 味噌汁の味が薄いと感じたのは海老原さんも同じだった。



* * *

 夕食を終えたわたしは「あしながおじさん」を読んでいた。
 本の中のジュディは、活き活きとして毎日を楽しく過ごしている。わたしもジュディのように活き活きと生活していた日々は確かにあった。でも、すべて自分で壊してしまった。手紙を書き終わってから、ぼんやりと考えていることが多くなった。どれもこれも、今となっては「しょーもない」ことばかりだった。
 もし、一桜と出会わなければどうなっていたのだろうとか、一桜と別々の高校に通っていたらどんな生活を送っていたのだろうとか、そんなことばかりを考えていた。
「もやもや」もいつの間にか完全に消えてなくなっていて、すべてがクリアに見えるようになった気がした。そして、莉緒や陽葵、心尊のことを考えていることが多くなった。
 莉緒はちょっと生意気なところがあったけれど、わたしに負けず劣らずよく食べる子でよく笑う子だった。日葵は大人しいけど優しい子で、よく莉緒と一緒にいることが多かった。ふたりとも一桜とよく喋っていた。


 心尊とは……ずっと喧嘩ばかりしていた気がする。中学の大会で心尊に酷いことを言ってしまったことを今になって後悔していた。それが原因で心尊と険悪な仲になってしまったのは間違いなかった。
 心尊だって新体操が好きなはずなのに、もしかしたら、わたし以上に新体操が好きだったのかもしれないのに「向いてないから辞めろ」なんて言ってしまった。そんなこと言われたら、誰だって怒るにきまってる。わたしだって怒る。それなのに、わたしは自分のことだけしか考えていなかった。もし、心尊にあんなことを言っていなければ、心尊と友達になることができたのだろうか。


 開いていた本に涙が落ちた。この涙は、いったいなんの涙なのだろうか。
 後悔? 哀しみ? それとも「死」への恐れ? どれも違う気がする。
 でも、強いて言うなら「後悔」だろうか。


「ぜんぶ、悪い夢だったらよかったのに」


 ぽつりとつぶやいた瞬間にとめどなく涙が溢れてきた。
 朝起きたらご飯を食べて、お母さんとお父さんとどうでもいい話をして、一桜と一緒に学校へ行って、勉強をして、もうすぐテストだから憂鬱なんて他愛もない会話をして、部活で心尊たちと汗を流す。そんな、普通で当たり前な日々がとてもかけがえのないものだと今になってやっと気が付いた。
 一桜……知らなかった。一桜があんなに苦しんでいたなんて。それなのにわたしは自分のことばかりで、本当はわたしのことが嫌いだったなんて。それに、クラスの、みんなも……。
 わたしを、新体操を好きになって欲しくて一桜のスケッチブックを破り捨てた。それがどんなに自分勝手で、一桜をひどく悲しませたかと思うと、あのとき本当に死ぬべきだったのはわたしのほうだった。


 バカだ。わたしは。
 普通に考えれば、そんなことをしても相手を悲しませるだけだって、誰でもわかるはずなのに……。
 わたしは、本当に一桜のことが好きだったのだろうか。もしそうだとしたら、あのとき絶対に一桜の腕を離さなかったはずだ。


『あたしはアンタのおもちゃじゃないんだよ』


 あのとき一桜はそう言った。結局、そういうことだったんだ。
わたしは、一桜を一桜としてではなく、好きな「モノ」としか見ていなかった。
 わたしの言いなりになる、お姫様のような可愛いお人形。「おもちゃ」。
 それに思い返してみると、一桜が言うとおりわたしを遊びに誘ってくれる子は誰もいなかった。わたしが誘えば遊んでくれたけど、それだけだった。ひとりぼっちだったのは一桜じゃなくて、わたしのほうだった。
 そばにいてあげようと思ったのは、わたしじゃなくて一桜のほうだったのかもしれない。それなのに、わたしは一桜の気持ちを踏みにじって……。


『あんなに親友してあげたのに! 馬鹿! 裏切者!』


 もしかしたら、一桜は心尊たちにもわたしのことを話していたのだろうか。だから、心尊たちは誰にも言わなかったのだろうか。わたしが一桜を殺したことを。
 新体操部でわたしにいつも話しかけてくるのは、あの3人しかいなかった。心尊だけは、嫌味しか言ってこなかったけれど……。
 わからない。みんな殺してしまったから……。宮田くんが言うように、わたしは最低最悪のクズ女だ……。
 きっと今のわたしには後悔の涙も、反省も許されない。「現実」を受け入れるしかなかった。裁判の帰り道で見た、可愛いトイプードルのように。
 飼われて、繋がれて、餌を与えられて、生殺与奪を飼い主に握られる。だけど、それはペットにとって決して不幸なことじゃない。飼い主に愛され、抱き上げられ、年をとって、やがて死んでいく。きっと幸せなことに違いない。
 けれど、わたしは違う。罰を与えるために閉じ込められ、餌を与えられ、「殺す」ために生かされている。けれどそれは自分で「選択」したことの結果だ。自業自得だ。そんなことわかっているはずなのに、わからないと嘘をついて強がった。こんなことじゃお母さんに愛想を尽かされるのも仕方がなかった。
 判決が下される日に、お母さんは来てくれるのだろうか? やっぱり、もう顔も見たくないと思っているのだろうか。お父さんは、来てくれると信じたい。


「お母さん……」


 お母さんと話がしたい。最後にまともに話をしたのはいつだっけ? こんなことになるなら、もっとたくさん話をしておけばよかった。あの面会の日に、ちゃんと謝ればよかった。裁判が終われば、お母さんと会わせてもらえることは出来るのだろうか。もし会えるなら、その時こそちゃんと謝りたい。お父さんにも、面会であんな態度をとったことを謝らなきゃ。
 視察窓が開く音がすると、本を閉じて瞼を擦った。


「3番、洗濯物を返すわね」


 わたしの顔を見た彩花さんは、驚いた表情をして洗濯物を視察窓に置いた。


「あしながおじさんを読んでたら感動しちゃって」


「あしながおじさん? あれってそんなに感動する話だったっけ?」


「感動するよ~! 今度、彩花さんも読んでみて」


「そう? なら、今度読んでみようかしら」


 洗濯物を返し終わって、用事が済んだはずなのに彩花さんが視察窓から離れることはなかった。


「あさって、いよいよね。大丈夫?」


 彩花さんが心配そうな声で言った。


「大丈夫じゃないよ! もう、彩花さんまでそうやって脅すんだから。みんなしてわたしをビビらせようとしてるの?」


 わたしが苦笑いをして返すと、「そんなつもりはないんだけど」と言って、綾乃さんは戸惑った顔をした。


「彩花さん。わたしね、今度お母さんに会えたらちゃんと話をして、それで、ちゃんと謝ろうと思うの。会えるかどうかわからないけど。でも、お母さん、許してくれるかな。彩花さん、どう思う? わたしは意地っ張りだけど、お母さんはわたし以上に意地っ張りだから、やっぱり許してくれないのかな。でも、それはそれで仕方がないのかな」


 不意に視察窓から彩花さんの手が伸びてわたしの頭に触れると、乱暴に「わしゃわしゃ」と掻き回した。


「え、ちょっと、なに?」


 彩花さんに乱暴に「わしゃわしゃ」されて、たたでさえボサボサの頭がさらにボサボサになって、どこかの原住民族みたいになった。


「大丈夫。3番のやったことは許さないと思うけど、3番が謝ったことは、きっと、お母さんも許してくれるよ」


 彩花さんの言っている意味がよくわからなかった。
 不意に「あっ」と思い出したわたしは、踵を返そうとした彩花さんに声を掛けた。


「そういえば、彩花さん。宮田くんとふたりっきりになってみてどうだった?」


 洟を啜るような音が聞こえてから彩花さんが「え?」と言った。


「なんで知ってるの? まさか」


「そのまさかで~す。海老原さんと相談してさ、なんとか宮田くんと彩花さんをふたりきりにしてあげられないかな~って! うまくいったでしょ? どう? もしかして、もう付き合いはじめちゃったとか?」


「あれ、あんたの仕業だったの? まったく、道理でおかしいと思ったら」


 わたしの「したり顔」に彩花さんは呆れた顔をした。


「でで? どうなったの?」


「別にどうもしないわよ。付き合ってもいないし」


 その言葉にわたしはがっかりした。
 ちぇ~、お似合いのカップルになると思ってたのになあ。


「でも、『きっかけ』にはなったよね?」


 わたしがそう言うと、彩花さんははっとしたような顔をした。
 お、これは何かありますなぁ。 


「馬鹿なことを言っていると、明日の朝ご飯がなくなるかも知れないわよ?」


「ごめんなさいって!」


 いつものクールな彩花さんに戻ってしまった。
 ふと、彩花さんのウェディングドレス姿を想像してみた。純白のドレスに身を包む彩花さん。左手にブーケを持っていて、右手は宮田くんの肘に乗せられていて。さすがに結婚式では眼鏡を外すのかな? 化粧をした彩花さんはもっと綺麗なのかな?


「もし、宮田くんと彩花さんが結婚式を挙げることになっても、彩花さんのウェディングドレス姿を見ることができないのが残念だなぁ」


 思わずぽつりとつぶやいた。


「あんたは老い先短い私の親か。ホントに……なに馬鹿なこと言ってるの」


 彩花さんがもう一度洟を啜る音が小さく聞こえた。


初華 死刑を求刑された少女 ~第六章~ (3)に続く


~第六章~ (3)の登場人物

阿久津初華(あくついちか)
聖フィリア女学院の女生徒と家族を殺害し、死刑を求刑された少女。
少年犯罪で、少女に死刑が求刑されたのは戦後初。

宮田宗一郎(みやたそういちろう)
Y拘置所の新人刑務官。父親を自殺で亡くし、母親は失踪して家族は離散。少年鑑別所の職員との出会いによって刑務官の道を志す。

海老原(えびはら)
Y拘置所の刑務官。最年長。下ネタ好きで四国訛りがある。初華のことを気にかけている。

皆川彩花(みながわあやか)
初華の入浴日や、洗濯物の回収のときにのみY拘置所に訪れる女性刑務官。

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