【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第六章~ (1)
(1)
2026年 2月1日
判決日まであと2日
湿った煙の饐えた臭いが現場に立ち込めていた。雲の隙間から差し込む朝日に手をかざしながら、およそ爽やかな朝に似つかわしくない焼け落ちた残骸を見渡した。先ほど遺体を乗せた車は、野次馬を掻き分けながら走り去っていった。
「なんてことだ……」
眉間を押さえて独り言ちた。
今日未明、2階建て木造住宅で火災が発生した。約1時間半前に鎮火したが、住宅は全焼し、中から住民の焼死体が2体発見された。現在身元を確認中だが、阿久津孝彦と阿久津華永に違いなかった。
「木島部長、ちょっといいですか。……大丈夫ですか?」
声を掛けてきた真田さんが心配そうに僕の顔を覗き込んだ。相当酷い顔をしているのは自分でもわかった。
「ええ、すみません。大丈夫です」
「出火原因ですが、消防の鑑識の調べでは現在のところ特定はできていないようです。住宅はそれほど新しいものではないようですが、設備に異常はみられず、配線のショートやコンセントからの出火という線もなさそうです。寒い時期ではありますが、石油ストーブなどの火を扱う暖房器具は置いておらず、使用している暖房器具は室内エアコンのみだったようです」
阿久津夫妻は2階の自室で就寝中に火事に遭い、眠ったまま亡くなった。
1年半前の楠田家放火殺人のことを思い出していた。
「あと、出火元なのですが、書斎の壁が特に激しく燃えていた形跡があることから、そこが出火元ではないかということです。しかし、先ほど言ったように設備やコンセント等からの出火は確認できていません。書斎も同様です。しかし、その壁付近からガソリンのような成分を確認したとの報告があります」
「ガソリン……つまり、放火ということですか」
真田さんは険しい顔で頷いた。また放火か……。
「真田さん」
「何でしょう?」
「偏った考えや思い込みだけで判断するのは刑事としてあるまじき行為であると、僕自身もわかっています。ですので刑事としてではなく、オフレコで、ひとりの人間としてお訊きします。この放火は、誰の手によって行われたものだと、お考えになりますか?」
真田さんは眉間に皺を刻むと腕を組んだ。
「……刑事ではなく、あくまで一個人の勝手な意見ですが。えっと、オフレコで」
「あくまで」を強調して顔を上げた真田さんは先を続けた。
「阿久津初華に殺された被害者の遺族の可能性もあり得るかと」
やはり、そう思うか。だが確証はない。しかし、時期を考えるとそう捉えても不思議じゃなかった。もうじき彼女の判決日のはずだ。どんな判決が下されるのかわからないが、このタイミングで彼女の両親を殺害するとは、犯人は激しい怨恨を抱いているとみて間違いない。もしかすると――。
「木島部長。妙な憶測はやめて、我々は警察官として警察の仕事をしましょう」
真田さんの言葉に気を取り直す。
そうだ。憶測や思い込みだけで判断するのは禁物だ。それにまだ放火殺人と決まったわけじゃない。現場を調査し、聞き込みをして、真実を突き止めるのが警察の仕事だ。しかし、この日は得体のしれない胸騒ぎが治まることはなかった。
* * *
「なあ、本当にこの手紙を全部出すつもりか?」
テーブルに置かれた便箋の束を見た中村さんは、呆れた顔をした。
「そうだけど、ダメなの? なんとかならない?」
中村さんは額をぼりぼりと掻いている。文字がびっしり埋められた便箋の枚数は、20枚を越えていた。
「ダメっていうか」
「中村。海老原さんが呼んでいるぞ。お前が作った拘留生活規則の冊子に誤字があったって」
杉浦さんに声を掛けられた中村さんは視察窓を離れた。
「誤字? でもやっと新しく30部作り終えたんだぞ? ペンで書き直すだけじゃダメなのか?」
「俺もそう言ったんだけどダメだってさ。作り直せって言ってるぞ」
中村さんは「え~?」っと言ってガックリと肩を落とした。
「とりあえず宮田も手伝うらしいから。それよりどうした」
「3番が手紙を出したいらしいんだけどさ」と言って中村さんが顎をしゃくると視察窓から杉浦さんが顔を覗かせた。
「おいおい、何だ、この便箋の枚数は。作家にでもなるつもりか?」
「だろ? どうしようかと思って」
杉浦さんは腕を組んで考え込むと、中村さんに言った。
「とりあえず俺が対応するから、中村は冊子の作り直しに行ってくれ」
「は~マジかぁ」と重い足取りで中村さんは事務所に戻っていった。
「それにしても、これだけの手紙を本当に出すのか? 拘留生活規則は読んだだろう? 一通で出せる便箋の枚数は多くても7枚だぞ」
「じゃあ、小分けにして出すよ。それならいいでしょ?」
「まあ、確かにそれでもいいけど……ちょっと手紙、見せてもらえるか? どのみちあとで検閲するんだけどな」
便箋を受け取った杉浦さんは、素早い手つきで便箋をめくりながら目を通した。時折手が止まって眉間に皺を寄せると、杉浦さんは冷たく言い放った。
「悪いが、この手紙は出せないな」
「え? どうして? 小分けに出してもいいって、言ったじゃない」
「そういうことじゃない。この手紙に書かれている内容が問題だ。それに宛先もな」
「内容? 内容って?」
「お前、ここに書かれていることって、今回の事件に係わる内容だろ。というか、書いてあることは本当なのか? もしそうだとしたら……」
そこまで言うと杉浦さんは逡巡した様子で顎を擦った。
「全部本当のことだよ。だから手紙を出したいの」
瞼を閉じた杉浦さんの体が揺れて、革靴がリノリウムの床を叩いているのがわかった。
「やっぱりだめだ。それに素性がわからない相手にこんな手紙を出すわけにはいかない」
「駄目? そんなこと言わないで、お願いだから」
わたしは縋りつくように杉浦さんを見つめた。
「お願い! 杉浦さん。わたしが勝手なお願いをしているのはわかってるよ。でも、どうしてもゾウさんに手紙を出したいの! お願い」
手紙とわたしを見比べて「まいったな」とつぶやいた杉浦さんは首をさすった。
「封筒はあるのか? 何枚ある?」
杉浦さんの言葉に顔が綻んだのが自分でもわかった。わたしは慌ててバッグのなかを漁って封筒を数えた。
「封筒、あるよ。まだいっぱいある」
「そうか、便箋は23枚だから封筒が4枚は必要だな。切手も4枚必要だけど、切手はあるのか?」
わたしは封筒を両手で掲げたままの姿勢で固まった。
「切手……」
なかった。切手は購入した記憶もない。
「なければ購入できるけど」
「買う! まだお金残ってるよね?」
「切手を四枚購入できるお金は十分あると思うけど、今日は日曜日だし、購入日は火曜日だぞ? それに切手が届くのは購入の申し込みをしてから1週間後だ」
1週間後……駄目だ。全然間に合わない。それに火曜日は2月3日だ。その日にわたしの刑が決まる。泣きそうな顔でわたしはへたり込んだ。
その様子を見た杉浦さんは「はぁー」と大きくため息をついた。
「切手は俺がなんとかしてやる。ただ、手紙は検閲するから通らない可能性が高いぞ?」
がばっと顔を上げて視察窓にかじりついた。
「本当? それでもいい。検閲通ったら、すぐに出してくれる?」
「ああ、出すよ。早くても明日以降になると思うけどな」
明日以降……どれくらいでゾウさんのもとへ手紙が届くのだろうか。でも、それでもいい。手紙さえ出せれば。
「それでいいよ。杉浦さん、本当にありがとう」
視察窓に両手をおいてペコリとお辞儀をした。
「ああ、いいって。まったく、どうなっても知らんぞ。あと、この手紙を書いたことは絶対に誰にも言うなよ。大変なことになるからな」
苦笑いをする杉浦さんから便箋を返してもらうと、一枚ずつ丁寧に折りたたんで茶封筒に入れた。渾身の文字で「赤津猪鹿蔵様」と書いた。
なぜゾウさんへ手紙を出そうと思ったのか、よくわからなかった。ただの自己満足かもしれないし、誰なのかわからない相手だからこそ、すべてを打ち明けたいと思ったのかもしれない。
この手紙を読んでゾウさんはどう思うだろうか。もしかしたら、手紙を書くのはこれが最初で最後になるのかもしれないと思った。
~第六章~ (1)の登場人物
阿久津初華(あくついちか)
聖フィリア女学院の女生徒とその家族を殺害し、死刑を求刑された少女。
木島祐一(きじまゆういち)
生活課から捜査第一課に転属した刑事。巡査部長。柔らかい物腰と物言いで、取り調べに定評がある。
真田(さなだ)
木島の部下。巡査長。年齢は木島よりも上。坊主頭で強面。ガサでは真っ先に切り込む陣頭指揮も行う。
中村(なかむら)
Y拘置所の刑務官。体育会系。
杉浦(すぎうら)
Y拘置所の刑務官。主に面会人の受付や、差入品の授受を担当している。
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