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修験道から学ぶ”半僧半俗”現代を生き抜く為のデュアルスタンダード。

先日、修験道をテーマにドキュメンタリー映像の制作を行いました。
山伏として修行に取り組む主人公の男性を中心に物語は展開します。

「なぜ厳しい修行を行うのか?」という問いからこの企画が生まれ、
自費取材で護摩、三日間の山行、など一部分ではありますが修験者の活動を追わせて頂きました。

本作の制作にあたり山岳で修行を行う”山伏”と呼ばれる方々の生き方が、現代人にとって豊かな人生を送るための学びとなり得るのか。自らが感じたことを書いてゆければと思います。

半僧半俗の生活スタイル

まず山伏を理解する上で象徴的なのが、”半僧半俗”という言葉です。
半分は修行僧であり、半分は俗世で生活をする。ということなのですが、
修験道の山伏は僧侶や宮司とは違い、宗教信仰者でありながらも山伏という職業は存在せず、平日は普通に仕事をしながら休日などに修行を行なっています。

熊野修験山伏の花井さん

本編に登場する山伏の花井さんも、平日はメーカーで勤務しながら休日に山行を行ったり信者さんを案内するのだそう。この”僧”と”俗”の往復運動が自分の精神を安定させると語っていただいた。

花井さん「修行道というのは宗教でありながらも修験教ではなく、修験”道”なんですね。日本には華道や茶道など、さまざまな”道”があり修験道も同じだと思います。信仰でありながらも自分を精神修養する為の嗜みなんですね。」

修験道発祥以来、約1300年間続く”半僧半俗”の修行スタイル。
それは民間信仰として、人々の生活に深く馴染んでいたものでした。
社会の中に属する自分と、俗世から離れた山岳で修行に勤しむ自分。

装束を着替え、半俗から半僧の側面へと移行する。

自分の中にいくつもの側面(キャラクター)を持つことで、例えば「仕事で失敗した」「プライベートが上手くいかない」などという事ががあった時も、その自分の中の側面を切り替えることで、自分の人生を全否定することなく精神の安定した状態を保つことができるのではないかと思うのです。また様々な側面を往復運動することによって、別の側面を俯瞰して眺める事ができる。それによって問題に対して冷静に対処したり、実は深刻なことでは無かったと気づく事ができるのではないでしょうか。

”確固たる自分”は存在する?

少し話は脱線しますが、仏教では”不変の確固たる自分は存在しない”と考えます。因縁(外部環境)によって、自分というものも常に変化し確固たる自分なんて存在しないというのです。よく「私は〇〇な人間だから」という言葉を耳にしますが、これはまさに先述とは真逆の”不変で確固たる自分”を信じてしまっている状態です。

この状態になると良くないのが、例えば仕事で失敗し上司に叱られた。という様な事があった時に「自分はダメな人間だ。」と仕事面とは無関係な、自分の人間性までを否定してしまう事です。
でも実際は外部環境や因縁によって、人の性格や人間性は変化します。
修験道の半僧半俗についても、社会→山(場)、スーツ→装束(衣)、と因縁を変化させることで別の人格を出現させているのだと思います。

現代人が穏やかに生きるには

山に行って修行をしよう!!というのはあまりに唐突でしょう。
ですが、古来より継承されてきた半僧半俗の生活スタイルから学ことは沢山あるのではないでしょうか。

現代の社会では仕事の失敗や過労、ネットでの炎上などにより精神を病んでしまったり、最悪の場合命を落としてしまう様な事件も目にする機会が増えました。
この様な現代社会の中で穏やかに生きる為には、”ある側面の自分に、人生の比重を置きすぎない”事が大切なのではないかと思います。

仕事に比重を置きすぎると、仕事で失敗した時には自分の人生までも否定してしまうという状況になるかも知れません。
人生の楽しみを様々な所に見出して、全く別の環境に身を置いてみる。
そして、それを嗜む。というくらいの気持ちで取り組む。

そうすることによって自分の中に別の側面が生まれ、新たな自分の個性に気付いたり、自分を俯瞰して見つめることができるのではないかと思います。

約1300年続く修験道の伝統から、人生を穏やかに生きる術を学ばせて頂き、先人の知恵は偉大だと感じると共に、より深く日本の心について学んでみたいと感じさせてくれる良い取材となりました。

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