吉増剛造体験
2024年の春、縁あって、吉増剛造氏のトーク/パフォーマンスに三回連続で参加することができた。最初は大阪で、後の二回は虎ノ門で※①。それは暗黒舞踏の創始者である土方巽を吉岡が語る体裁ではあったが、実際は2016年に出版された『怪物君』(みすず書房)※②と2021 年に出版された詩集『Voix』 (思潮社) ※③の謎を解くためのマジカル・ミステリー・ツアーだったと思う。それは2011年の東日本大震災により魂を失いそうになりながら、命を繋ぎ止めようとした詩人の軌跡の追体験だった。土方巽は言わずと知れた暗黒舞踏の創始者であるが、戦後日本の歴史上稀に見るような「フィジカルな時代」のシンボルであった。(それは小林康夫氏によれば、70年代前半に唐突に終焉する)つまり、土方巽を語るということは遅れてきた詩人吉増剛造が人生の最終段階で真の身体を呼び覚ますために詩の神(そんなものがいるとしたら)から与えられた未曾有の機会だったのだろう。それを彼は見事つかんだのだ。そしてそれを私たちに伝えようとした。それを証拠に彼は最後にこう言った。「語弊を恐れずに言えば、僕には肉体がなかった」と。それは、確かな肉体の時代を経験した者だけが感じる喪失感である。
以来、私の書く文章には随所に「吉増剛造/怪物君」が現れる。今、これを書いていてもそれを感じる。それは、モワ〜としたものだ。2021年に実物の「煙」が使われた吉増氏のパフォーマンスを見たことがある。※④「煙」や「湯気」は捉えどころがなく形容し難い。それは「声」にも共通する。ここまで書いてきて、気づくことがあった。「言語になる前の言葉の不思議な状態」は春の早朝、雨上がりの竹林の地面から立ち上がってくる地霧に似ている。それは新鮮な命の発動である。私が吉増氏のことを意識し始めたのは2020年からであった。2011年3月11日東日本大震災を福島県で被災した私は、多くのものを失った。5年間はその後始末に追われた。2016年、廃墟化した中心市街地の一角で友人たちとアート展示を行った。「飛蚊的黙示録」と題されたその展覧会は、東京五輪で浮かれた当時の世相に対する精一杯の抵抗だった。私たちは、眼球に残ってしまった震災の影から何かを見つけようともがいた。開催翌月、東京国立近代美術館で「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」が開催された。それは、1詩人の大震災に対する態度が示されていた。私は、その同時代性に震えた。2020年、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大し、奇しくも3月11日にWHOがパンデミックを宣言し、オリンピック開催の1年延期が決まった時、私はむしろ安堵した。そして、処女詩集『ソラリスの襞』を出すことを決めた。詩を書いている間、私は吉増氏が足利市で行ったパフォーマンスのビデオ※を毎日書斎で流し続けた。吉増氏の気配のようなものが徐々に私の体の中に入ってくるように感じた。2019年、吉増氏は宮城県の「Reborn-ArtFestival」※⑤に参加し、石巻の旅館の一室で窓から海に浮かぶ金華山を眺めながら津波で命を失った人に対する鎮魂の詩作を続け、詩集『Voix』を完成させた。
〈 イi の 樹木き ノ 君 キミが立って来ていた!〉
『Voix』の黒い表紙にも書かれている衝撃的な一文が私の脳にこびりついた。それは一切の解釈を拒んでいるようにも思えた。三回のトーク/パフォーマンスで、吉増剛造氏は「独特のカラー刷りの自筆のテクスト」を使い、自分の詩と土方巽の舞踏の関係について話しをし続けたが、私はこの一文を読み解くことに集中した。講演会は、まるで即興で歌うように、軽やかに踊るように進められた。それは、おそらく「根源的な胎児性」「根源的な言語」に近づくための所作であり、儀式だったのだ。吉増氏は、古今東西のアーティスト、例えば、松尾芭蕉、夏目漱石、折口信夫、W・B. イエイツ、吉本隆明、ジョナス・メカス等を引き合いに出し、聴衆を不思議な場所に導き、魅了し、煙に巻いた。私の脳髄に「身繕い」と言う謎の言葉を残して。私はこれから「身繕い」を巡ってさまざまな思索をしていくのだろう。あらかじめ失いし「肉体/身体」をポエジーの王国から召喚するために。これまでは、痛みを感じる時だけ、私は自分の肉体と対話してきたような気がする。これから私は、吉増剛造の詩と中上健次の小説を書写し、それを音読してみようと考えている。そうすれば、「身繕い」とは何かが次第にわかってくると思うのだ。時間はかかるかもしれないがその確信だけはある。痛みは言語の源、それはいずれ肉をまとう。それを信じよう。
※①
『怪物君』2016年6月刊行 発行元:みすず書房 著者:吉増剛造
大震災からの五年、被災地の光景、土地の記憶、人々の声、古今東西の言葉によって綴られた言葉になる前の声
※②
『Voix』2021年10月刊 発売元:思潮社 著者:吉増剛造 第1回西脇順三郎賞受賞作品
大震災の被災地、石巻鮎川浜にて、土地の声を感じ、幻の道を歩く。太古から未来へと突きぬける言語行為。
※③土方巽をめぐる吉増剛造による三回のイベント
第1回:2024年4月28日、大阪文学学校 倉橋健一を聞き手として吉増剛造を迎えた特別講座「詩とは何か――土方巽の舞踏言語をめぐって」
第2回:2024年5月17日 虎ノ門 The Park Rex Toranomon 吉増剛造展『ネノネ』会場 「MARYLIA x 吉増剛造 ライブパフォーマンス」
第3回:2024年6月1日 虎ノ門 The Park Rex Toranomon 吉増剛造展『ネノネ』会場 「小林康夫(東京大学名誉教授) x 吉増剛造 トークショー」
※④
2021年6月5日、足利市の「artspace&café」で行われた吉増剛造氏によるライブパフォーマンス。「artspace&café」は、2017年足利市立美術館で開催された吉増剛造展「涯 テノ詩聲(ハテノウタゴエ)」をきっかけに展示デザイナーの岩本圭司氏が開店
※⑤
「Reborn-ArtFestival」2019年石巻市街地と牡鹿半島を中心とする東北を舞台にした「アート」「音楽」「食」の総合芸術祭。吉増剛造氏は石巻市鮎川浜の旅館の一室を「詩人の家」と名付け、2年間そこに通い、詩作を続け、詩集『Voix』を完成させた。