戦争の抑止は可能か

(残念なことだが)ジェノサイドや戦争が人間の隠れた欲望の現れであることを認めたうえで、それ明確な【悪】と考える自明性の罠に陥らぬよう、なんらかの未来に対する提案をしなくてはと考えている。詩人の責任として。

戦争とテロ、そしてジェノサイドは欲望と憎悪という生のエネルギーで繋がっていて、【暴力が人々を支配できる】という幻想に基づいている。しかし、それは長期間は続かない。毛沢東やスターリンは、生きている間それを続けることが可能だった。時間のスピードが3倍になればそれはほぼ不可能になる。第一次世界大戦から第二次世界大戦まで10年しかかからないとすれば、あっという間に革命は起こり悲劇は確実だ。人類史上最も人を殺したとされるこの2人は、一部では偉人としても信仰されている。最後まで人生を全うしたから、彼らの人生は神話になり、彼らはある種の神になった。そこがヒトラーとは違う点である。

こう考えた。

テクノロジーによって歴史のスピードを2倍にすれば 、暴力により生涯何かを支配し続けることは難しくなる。加えて、暴力による支配が無残な結果しか産まないことを早いうちに教育すれば、早死にを求めない暴力の支配は不合理なことになる。狂気はそれを乗り越えるかもしれないが、それは一過性のものだろう。平和なシステムを維持するためには、想像力と知性への信頼が必要である。誰もが暴力に魅惑され、支配され、自らそれを行使し、それに怯えているのだから。

今、幸運なことに、究極の暴力についてきちんと見直そうという機運もある。全ての人間が悪に支配されることはない。必ずそれに抗う知性はある。それが希望である。

一方 世界人口を減らすために、核戦争を考える人たちもいるだろう。これは、民族主義的な問題ではなく人間一人一人の倫理の問題である。

なんらかの解決策はあるのか。



以下、暴論を覚悟した上で提案する。
「子供達は12歳になると、バーチャルリアリティで一度テロの擬似体験をする。加えてその無惨な失敗を体験する。痛みを伴う。次に兵士として、将軍として戦争の体験をする。支配する側と支配される側、双方の立場で、深い後悔と無惨な死を経験する。そして憎むべき存在を愛すべき仲間のために大量殺戮をする経験を専制君主の立場で経験する。自分の子供さえ殺す。そして殺戮された側の子孫の経験をする。その深い憎しみを知る。これによって、暴力がいかに魅力的であり、それによってどうして人間が狂うのか、またそれをすることがどれほどの人々を苦しめるのか、そして自分もまたその苦しみを感じる人々そのものであるという想像力を植え付ける。」
こうしたことは、かつて文学の役割だったが、一部の人間にしかそれを伝えられなかった。そして、残念ながら文学は力を失いつつある。バーチャルリアリティによる擬似体験であれば、擬似的な死を経験することができる。極度に繊細な人は、本当に死んでしまうかもしれない。この問題は保留して。それを制御するテクノロジーは次の段階で開発することにしよう。人が暴力による支配の欲望を捨て切るために、できること全てを行わなくてはならない。
非暴力こそが合理的な判断であると、誰もが納得できる常識を共有する社会にするために何が必要か。もちろん、このやり方は、人権侵害であり、危険であると批判されることはわかっている。一つの選択肢として、アーティストとして毒薬として提案している。生じる問題を解決していけば、可能性があるかもしれない、

ファシズム、広島長崎、福島原発事故を乗り越え、安全で平和な国を仮初にでもつくることができた日本人なら、もしかしたら、このシステムの構築ができるかもしれない。もちろん自分から進んでやる環境にはない。外からの圧力によって開発するしかない。外からの圧力を作り出すことが必要である。それは資本主義の圧力によって、無限にエンターテイメントのアイデアが浮かぶことの逆手をとった方法である。無理を承知で書いている。

世界が暴力による解決を選択しない決意をするためには、子供たちの成長段階で適正なトラウマを与えるしかない。ほとんどの人は言葉では変わらない。AIとバーチャルリアリティがその助けとなるだろう。それはジョージ・ワシントンがアメリカ建国時に正義の実現のためにジェノサイドを行う未来を想像するようなものである。このアイデアは3月17日の朝に突然思いついた。大きな間違いを犯している可能性は否めないが、アイデアの記録として残しておく。歴史のスピードを倍にすると同時に、おそらく環境破壊のスピードも倍になるから、暴力を取り除くことによって、人類の破滅のスピードを早める可能性がある。そのことも考慮しなくてはない。


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