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【掌小説】北条ラウとウイーン

ラウは、両親を知らない。鎌倉の寺の前に捨てられていた。人目をひく美しい容姿をしていて、賢く、神童と呼ばれた。子供に恵まれなかった華族、北条氏寛の養子になり、一高から東京帝国大学へ進学し、ドイツ語を学んだ。19世紀末のウイーンへ留学し、法律と建設を学んだ。
北条家はラウを外交官にしたかったが、世情を鑑みて諦めた。フロイトやクリムトと出会った。ヴィトゲンシュタインと仲良くし、観念論とニーチェの研究をした。エゴンシーレの描いたラウの似顔絵がこれである。ラウは哲学の道に行くことになった。2年間京都大学で教えたが、理由を見つけてすぐヨーロッパへ戻った。ベルリンでしばらく楽しんだ。いよいよ大戦となる前にニューヨークにうつった。アメリカは武器や車両の輸出で好景気、ハーレムルネッサンスと呼ばれる黒人文化が開化した。彼はアッパーイーストサイドに住んだ。ラウはコロンビア大学で哲学の教授をしながら、小説も書いた。成功し、クレオールの美女と暮らしていた。代表作は『ウィーンの彼岸』である。
その頃アメリカは、メディア産業が発展し、ルーズベルトのニューディール政策で、全土に建設ラッシュが起きた。ニューヨークにはグッゲンハイム美術館が建った。ラウはその審議官となった。オープニングの時、ラウの先祖が現れて、彼に声をかけた。
「お前を見守っていた。この日を忘れないように」
今でもアッパーイーストサイドのエンボラウホテルのエントランスには、ラウが書いたと言われる額にはいったメモが残っている。そこには、「おん あぼきゃ べいろしゃのう まか ぼだらまに はんどま じんばら はらばりたや うん」とひらがなで書かれている。意味はわからない。

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