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【エッセイ】中上健次とアルバート・アイラーのジャズと真言宗

89年の2月から3月 僕は 23歳で ニューヨークのイーストヴィレッジの安アパートにいた 5番街の タイムズスクエアの近く おそらくフィリッピン人が経営する 安売り店で携帯ラジオを買った ジャズとサルサを理解するというのがその旅行の目的だったから 毎日夜中と朝 狭い部屋で ジャズのラジオを聴いた ある日 それはチャーリー・パーカーの命日だったんだと思う 一日中ラジオで彼のレコードがかかっていた その日は天気が悪く 外に出かけるのを断念した 昼過ぎに突然「ジャズがわかった」と思った それは悟りのようなものだった 同行した早稲田の島田くんはパーカーのレアなレコードを買い集めていた それがすごくカッコいいなと思って憧れた
とにかく僕はその時ジャズの本質がわかったと1人思いこんだ



若き日のパーカー 眼がバスキアの目だな

今日 僕は 昼間っから キンキンに冷えたアブソリュートウォッカを胃に流し込み 風呂のBluetoothスピーカーでYouTubeのジャジーヒップホップを聞きながら 中上健次の「路上のジャズ」というエッセイ集を読んでいた 

夏休みの課題として自分に課している中上健次の書写のうち、「岬」の書写は 昨日で8割終わったが 
僕は疲れ切っていた 
中上の書写がこんなに精神的な苦しみを伴うとは 
正直驚いている
まるで中上の亡霊 路上の地霊が 僕の体を蝕んでいるようだ
それはまるで去年8月に無理やり強行したお遍路の時のような感覚だ 僕の感受領域を超えて 体の中に侵入してくる霊気としか名付けようのないもの それはひどく人の心を魅了するが 同時に強烈な痛みを伴う

歩くことと 書くことは
どこか似ている 
マントラを無限に唱えるのも

窓の外に 寺の地蔵堂の五色幕が見える 

大師堂と歓喜天のお堂


「詩と小説の滞在制作をする」と 住職に伝えたので、良い部屋を配慮してもらったが 実は詩も小説も書いていない 
ずっと中上健次を書写している 

朝から晩まで 小説を原稿用紙に手書きで書くのが
こんなに時間がかかるとは思わなかった 

お陰で、書写の極意をつかめたような気がする
字の大きさ、ペン、書くスピード、休むタイミングが重要である
同時に 
中上の魂が僕に憑依したように感じた これはなかなかにきつい 鬱病と通風にやられた 僕の脆弱な体は それに耐えられないかもしれない 
この2日ギリギリの状態が続いていた 
中上健次は そのピークの時代 集計用紙のようなものに書いたメモ書きを編集者に渡していたような話をきいたことがある 彼のような天才は、思いついた文章がそのまま 辻褄の合う物語になるのだろう 
あるいは合理的な文章に そして天才はチームがでっちあげる しかし 芥川賞の受賞の時は 本人がきっちり 校正をしていたのではないかと思う 
途中「?」と思うところがなきにしもあらずなのは 
むしろ編集者の加工が入っていない証明だろう 僕はあの頃 中上が芥川賞を取るためにはどんな文章を書けば良かったのか ということを体に覚えさせるために 
この修行をしている 
文学が文学らしかった最後の作家は 
中上健次だと信じているからだ そこに僕の文学を接続しなくてはならない 鬱で半分以上狂気に落ちいている僕 はバカみたいにそんなことを考えている 


若き日の中上健次 鬼と赤ん坊が共存している

中上健次が 人生のある時期 ジャズ狂いだったというのは、本人がいろんな話に書いている ジャズプレーヤーの中で 彼の一番好きなのは「アルバート・アイラー」だ 恥ずかしながら、つい最近まで、聴いたことがなかった しかし、彼のエッセイを読んでいると、アイラーを聴きたくなる 聞かなくてはいけないと思わせる (中上のエッセイはすごくいい ハードボイルドで「青春を謳歌」とか「人生を賛美」とか「反吐がでる」とはっきり否定してくれる)僕のような ふざけた人生を生きている「崩れ」にとっては 作家はこうでなくちゃと いちいち思わせる 毒の魅力がある

中上を書写する
アイラーを聴く

「ゴースト」「スピリチュアル・ユニティ」
中上がアイラーの中でも特に好きな曲だ
アイラーが 中上の文章と 完全に同期し 鬱に苦しみながら 誰にも会いたくないために 滞在してるこの真言宗の寺に 完全に何かが共振したのである 
まさにポエジーである ギリギリはやめられない

アバンギャルドジャズの鬼才 アルバート・アイラーはなぜ死んだのだろう?

最後に三島由紀夫について
彼のこともずっと考えていた 文体を真似しようとは全く思わないし 彼の思想に共鳴はできないが

70年11月25日は僕にとっても特別な日である あの日 何かが終わった 肉体の時代と誰かが言っていたが 僕らの世代が 子供心に憧れだったが 体感できていない ワイルドでフィジカルな時代は この日を境に終わったとされている その同時期 中上は フーテン生活を止める ジャズとドラッグの日を終わらせ 創作に全ての時間を費やすようになる 

そして 三島が割腹自殺をしたまさにその日 アイラーは、ニューヨークのハドソン川で死体として回収される 理由はわからない アイラー34歳である 

中上はあまりにアイラーを愛しすぎて 「吹雪のハドソン川」(『路上のジャズ』中央公論新社 2016年)というエッセイの中で「私がアイラーを殺した」とまで言い放っている 
その時代を生身で過ごした人間しかできないドラッギーな表現だ アイラー、マイルス、コルトレーン、ドルフィ、ミンガスを 朝から晩までジャズ喫茶にこもって聴いていた中上の新宿ジャズ不良時代 彼の仲間たちは誰もが当たり前のようにドラッグをキメて 犯罪行為に身を染めていた 多くは早くに命を失った(中上も享年47歳だから長生きではない)

今からは考えられないような時代だったらしい だから憧れる 2度と戻れない ノスタルジーと そこにしかない秘密のフィール

中上が「私がアイラーを殺した」と書いても それがおかしな表現だと感じないのは その現場に中上がいたからだろう あの時代 ジャズは一回性のライブじゃなく繰り返し繰り返し真言(マントラ)のように聞くレコードの中にあったと中上の世代の多くは 信じている 中上は それを隠さず書いている 

こうして 僕の中で アイラーと空海と中上がつながった
それは僕に強い 喜びをもたらした

それを書き残す

岩本寺の中田さん


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