小説 熊野ポータラカ 【第6話】八咫烏


ここで少し、マコトの実家について説明しておこう。マコトの姓は林、林家は裕福で本宮一の素封家と言われている。先祖は、八咫烏だと祖父から聞いたことがある。八咫烏であることは他人には言ってはいけないらしい。八咫烏は天皇のサポートをする一族で、林家には天皇が危機に陥れば、極秘ルートで、吉野から熊野まで天皇をお連れする役割がある。だからこの土地を離れてはならない、というのだ。マコトの父親の名前はタケル、幼少の頃から学業成績は極めて優秀で、大学で理論物理学を学んだが、無神論者だったから、八咫烏の役割を拒絶して、絶縁され、祖父がなくなるまで家には帰ってこなかった。マコトはそのことに関して本人から話を聞いたことはない。タケルは大学院を優秀な成績で卒業した後。若狭湾の原子力の開発エンジニアとして活躍していたが、実家を継ぐために地元に戻ってから全く経験のない不動産開発で成功し、周囲に頼まれて田辺市の市議会議員をつとめていた。彼に言わせると「物理学も不動産も同じ。統計と確率計算」らしい。マコトが5歳の時に両親は離婚した。小学校低学年の頃からタイの若い女性がマコトの世話をしていた。愛人なのか、使用人なのか、わからない。名前はプンさんと呼ばれていた。いつまでたっても歳を取らないところを見ると、一人ではないらしい。定期的に人が入れ替わっているのだ。それにしてもここまで似ている女性をよく探し出せるものだ、とマコトは思った。マコトの母親が駆け落ちしてボストンで暮らしているというのは、プンさんから教えてもらった話だ。母親がアメリカに行ってしまってから三年間、マコトは母親の実家の鈴木家がある新宮の神倉の家に預けられた。親権は林家にあったが、父親が忙しく家を開けることが多いので、母方の実家が気を遣って父親に提案したのだ。祖父である明治生まれの鈴木イサオはその頃はまだ生きていて、マコトはすごく可愛がられた。ひ孫のように思っていたのだろう。従兄弟は東京の大学に入学したばかりで、休みになると新宮に戻ってマコトを色んなところに連れて行ってくれた。今思うと人生で一番楽しかった三年間かもしれない。


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