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僕は文士になりたい。 (↑横光利一)



坂口安吾

小説家が「文士」と呼ばれなくなって久しい。僕は最後の文士を三島由紀夫だと勝手に思っていたので、
意外だったが、一般的には1940年までであり、三島のデビュー前だということを考えると 川端康成が最後の文士、しかも戦争の前までということになる。
戦争とそれに伴う言論規制が、日本から自由な表現を奪ってしまい、気骨のある、論客がいなくなってしまったのは、社会が健全に運営されるために大いなる問題ではないかと思う。
僕は、すでに59歳だが、これから10年の活動を通して、文士を目指すという、目標を立てようと考えている。では、文士とはいかなる存在か、文士がいなくなった理由、そして文士のいない社会が失ったもの、現在の文士的な存在は誰か、最後にこれから文学をどうしたら良いかを論じたいと思う。

芥川龍之介

【文士とは何か】

文士とは、商業的成功を第一義に考えず、常にあらゆることに対して、批判的な意見を、自由に、発言できる人間である。特に文学や報道を通じて、社会や人間の矛盾を明らかにし、既存の価値観に挑戦し、 権力や権威に媚び諂わない。真実を追求し、権力を持つ悪や理不尽な抑圧や暴力と闘う姿勢を持つ文筆家のことである。

文士に大切なのは気骨と責任感であり、一貫したいスタイルである。


堀口大学

【文士がいなくなった理由】
第一に、ジャンルの多様性があげられる。商業文学から文学賞受賞作、サブカルチャー、ミステリー、ファンタジー、SFなど様々な形態が存在し、一般的に確立された文学的伝統を持つ作家は、存在しない。それは、例えば白樺派とか新感覚派とか純文学の世界のことを指すのだろうか。

第二に 明治から昭和中期にかけては 代表する知識人であった文士が、エンターテインメントとしての側面が強調され、社会を憂う知識人としては相応しくなった。

第三に概念の陳腐化である。時代遅れの印象がある。

第四に 現代の作家は、自らのスタイルを模索するため、
公的イメージや共同体的な感覚からは距離があるということである。

織田作之助


 
【現代文学とエンターテインメント】

エンターテインメントは消費される。商業的成功が、社会的成功になる。そのため、社会批判や人間の内面を掘り下げることが、無意味化し、漫画や他のメディアと同じカテゴリーになってしまった。そのため、文学者の社会的責任が損なわれ、文学を通じて社会や人間の矛盾を明らかにしたり、既存の価値観に挑戦したりすることが求められなくなってしまった。それは、ジャーナリズムが広告収入に依存し、政府や企業の影響を受けることで、真摯な社会批判が難しくなっていることに大きな原因がある。真実を追求し、権力と闘う姿勢を持つジャーナリストは、ますます少数派になることは避けられない。


永井荷風


【これからどうするか】

それでも、文学の力は依然として重要であり、社会の問題を掘り下げることで人々の意識を変える可能性を捨ててはならない。

現代の作家たちがより深いテーマに向き合い、社会的責任を果たすことが、期待される。そのためには、商業的な圧力に屈しない勇気が求められる。

文士が持っていた気骨と責任感を受け継いでいくことが必要である。私ができることは何か、文士の価値に世間が気づくために何ができるかを、残されたわずかな時間で考えていきたいと思う。(そうは言っても梶井基次郎や織田作之助や小林多喜二よりは、おそらく時間がある)

小林多喜二
梶井基次郎

chat GPTに聞いたら、現代の作家で五人をあげてくれた。うち4割が女性というのが、喜ばしい。女性文士。
なかなかカッコいい。時代を反映している。 

 ❶村上春樹
孤独やアイデンティティ、現代社会の矛盾について深い洞察を与え、多文化的な視点をも込めています。
❷大江健三郎
複雑な人間関係や戦争、社会的な不正義に関するテーマや人間の存在に関する問いを投げかけます。

❸川上未映子
女性の視点から現代社会の矛盾や課題を探求しつつ、独自のスタイルで読者に訴えかける
❹吉本ばなな
社会の変化や人間の内面についての問いを巧みに組み込んでいる。 
❺中村文則
現代社会の荒廃や人々の内面の葛藤を鋭き、文学の社会的な役割を果たす。人間の本質や生存の意味について問いかける。

大江健三郎

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