抑制と均衡
〈チェック&バランス〉、政治学の世界で一般に「抑制と均衡」と訳されます。
これも二○一三年度のことです。僕が学年主任をしていた折り、山根康広というたいへん優秀な若者が学年にいたことがあります。当時アラサーであった彼を観察していると、仕事の仕方が大雑把に見えたり、そんなにこだわらなくてもいいところに異様なこだわりを見せたり、時には感情的になって生徒や同僚と軋轢を起こしたりといったこともないではないのですが、少なくとも彼にまとまった仕事を預けると最終的には非常に完成度の高い仕事がなされます。彼は職員室でボーッとしていたり、夜遅くまで学校に残って結局はなにもしなかったり、そうかと思えば勤務時間終了と同時に退勤してパチンコ屋に行ったりと、安定感を欠く仕事振りに見えるのですが、結果的には非常に質の高い仕事を仕上げるのです。彼の提案には無駄がなく、生徒たちによく機能する手立てが採られます。彼はおそらく、周りの人たちから見て仕事をしていないように思えるときにも、あちこちにアンテナを張り巡らせながら、〈最適解〉を探そうと考えているタイプなのです。
実は僕が学年主任を務めるこの学年はとても若い学年でした。学年主任の僕と副主任の女性こそ十年以上のキャリアがありましたが、三番手は九年目の山根先生です。全七学級だったのですが、あとは全員二十代。しかも、初めて担任をもつという教師が三名、二度目の担任という教師が一名でした。必然的に学年主任と副主任で若者たちを細かく指導しながら運営することになります。これは本章「リフレクションの原理」で詳述しました。
そんななかで、僕は山根先生に対してだけは、「放っておく」という手立てを取りました。能力の高い人間に上司があれこれ口を出すのはかえって逆効果です。その人間の創造力を蝕みます。僕は自分が同じタイプだからよくわかるのです。仕事をちゃんとまるごと預けてくれ、裁量権も与えてくれて口を出されない、要するに任せてもらえる、こうしたときに最も力を発揮するという人間がいるのです。全体から見ると少数ですが、確かに存在するのです。僕の見立てでは全教員の2パーセント、五十人に一人といったところでしょうか。山根先生は確かにそのタイプでした。こういう教師は「放っておく」のが一番その能力を発揮します。自分なりの創造力で、周りが気づかないような〈最適解〉を開発します。「放っておくこと」もまた、若手育成として機能する場合があるのです。
もちろん山根先生は僕の意に沿うような仕事ばかりをしたわけではありません。ときには僕が疑問を抱くような仕事ぶりを見せることもありました。しかし僕は彼のやることはすべて彼に任せました。彼のしようとすることにはなに一つ反対しませんでした。彼を「指導すること」を抑制したわけです。ただし、僕は彼に「学年の若い先生たちが困らないように配慮してね」とは言い続けました。当時の学校は大規模校で各学年が七学級から八学級。山根先生は新採用でこの学校に赴任した先生でしたが、転勤すればおそらくは学年主任、最低でも副主任は任されるはずです。僕が彼に身につけさせなければならないのは、「学年全体に配慮する目」ともいうべきものでした。人の上に立つ心構えと言っても良いかもしれません。その意味で、彼に必要なのは〈立場〉でした。否が応にも全体に配慮しなければならない〈立場〉、その〈立場〉にさえ立てば、彼は自分の能力を発揮して全体がスムーズに運営されるような自分なりの〈最適解〉を開発するはずなのです。
僕が山根先生に対してしたことは二つ。一つは彼のすることはとにかく放っておき、学年中はもちろん、他学年から彼のすることが批判されたときにそれらの声から彼を守るということ。もう一つは、自分自身が次の年に学年主任から退き、副主任の女性を学年主任に、そして山根先生を副主任にすること。これさえすれば、もう山根先生は大丈夫なのです。あとは彼自身が〈最適解〉をつくっていきます。それで良いのです。
若手教師を育てるという場合、多くの教師が無意識に「若手教師の育て方」を一通りであるように捉えてしまいます。技術を教え、よりよい教育とはどのようなものであるのかを語り、さまざまな経験をさせる、そういう方向性です。しかし、若手教師も個性をさまざまにもっているのです。〈リフレクション〉を重ねながら〈ミニマム・エッセンシャルズ〉を身につけさせる、〈フォロワーシップ〉でさまざまに体験を重ねさせる、そうした指導の在り方が必要とされる個性があるのと同じように、数は少ないながら「放っておく」ことが成長にもっとも効果を発揮するという個性も確かにあるのです。「指導の抑制」が必要とされる個性です。
しかし、先輩教師の側に大切なのは、どんな場合にも組織の中にそれによって「困る人が出ない」ようにするという「全体に配慮する目」です。そのバランスだけは責任ある立場として常に意識しながら、仕事の〈バランス〉、人間関係の〈バランス〉を調整しなければなりません。組織の長の仕事はそれぞれの人たちの個性が十全に機能するように〈バランス〉をとることに第一義があるとさえ言って良いと僕は思っています。
組織としての〈バランス〉をとりながら、それぞれの個性がそれぞれに「自分の頭で考えられる」ような素地をつくっていく。そのように「環境調整」していく。そうした環境さえつくれば、実は人は「勝手に成長していくサイクル」に入っていくものです。人を育てる組織とは、この〈チェック&バランス〉を目標として運営することが必要です。この大枠を揺るがすことなく意識していれば、いまだれにどんな声かけが必要なのかということは必然的に決まっていくものなのです。