ハーヴェスト
〈教室ファシリテーション〉に取り組み始めて以来、長く〈ハーヴェスト〉に悩んできました。〈ハーヴェスト〉とは「収穫」という意味で、ファシリテーションではそれぞれの小グループでの交流・検討の成果を全体で共有化することを指します。要するに、一般的にはグループ交流を終えた後に全体の前で各グループがプレゼンテーションをする、あれのことです。「私たちのグループではこういう話が出て、その後……」といったような発表を次々にしていくあの時間です。
私も当初、〈グラフィック・ファシリテーション〉(各グループに模造紙やホワイトボードを用意して、各々が自由に書いたり描いたりしながら交流していくファシリテーション形態のこと)をした上で、そのグラフィック(模造紙やホワイトボードそのもののこと)をプレゼン・ツールにして発表させる形態を採っていました。全体に提示するツールもあり、交流の過程を説明し、最後に成果や課題を述べる。発表者が話す内容が明確になり、慣れてくると話し方も明快になり、学習効果も高いと感じていました。
しかし、子どもたちがこの手法に慣れてきた頃、ある違和感を抱きました。それは〈プレゼン型ハーヴェスト〉は発表する側にはとても学習効果が高いのですが、どうもそれを聞く側に効果があまり感じられないという違和感でした。発表者が活き活きと発表するのに比して、それを聞く側がなんとなく退屈そうと言いましょうか、他のグループの発表を早く終わってくれないかと感じている、そんな印象なのです。
考えてみると、それは簡単な構造であり当然のことなのでした。〈教室ファシリテーション〉によるグループ交流は、それが機能すれば機能するほどブレイクスルーが起こります。交流の中で次々に発見が生まれます。それがどのような経緯で発見するに至ったのかという過程にも意識が向きます。結果、〈ハーヴェスト〉における発表者はそうした過程も含めて「話したいこと」をたくさんもっています。自分たちがたったいま発見したことだから人に伝えたくてしょうがない。そういう状態になります。それがハイテンションを生みます。そして発表者はそのテンションのまま発表することになります。
ところがそれを聞いている側はその発見の過程を知りません。聞いている側から見ると発表者がテンション高く語っている発見というのは、結論としては抽象的な言葉であることが多く、過程を知らなければ「そんなこと知ってるよ」という文言が並びがちです。それを発表者がハイテンションで語ったり発表グループの人たちが内輪ウケ的にやりとりしているのを見ていると、かえって引いてしまうのです。自分だけがウケている笑い話をしゃべっている人の話がまったく面白くなく、引いてしまうのと同じ構造です。こうしたことが続くと、だんだんと発表に退屈するという現象が起きます。
もう一つ重要なことがあります。それは、その聞いている側の、退屈しながらプレゼンを聞いている各々のグループもまた「話したい内容」「発表したい内容」をもっているということです。いまハイテンションで発表しているグループ同様、自分たちにも交流においてブレイクスルーが起こっています。成果や課題といった結論だけでなく、それがどうやって得られたかという「過程」まで大きく意識しています。
更には〈ハーヴェスト〉のプレゼンはどうしても発表時間が限られており、ブレイクスルーに至る過程を詳細には語れない、ということも大きいかもしれません。発表者も「過程」と「結論」を比べれば発表内容としては「結論」の方が重要だとわかっていますから、どうしても「抽象的な結論」は語っても、そこに至る「過程」を丁寧に語ることができません。しかも、発表しているグループは自分たちではその「過程」の喜びを共有しており、その経緯自体も共有していますから、どうしても「過程」の話は簡略化されがちです。それが聞いている側には「伝わらない」という現象を起こしがちになります。
このように、それそれのグループの「自分の交流内容は伝えたい」「でも、他のグループはハイテンションすぎて引いてしまう」「そもそもその発表の過程についてよくわからない」という三つが現象され、どうしても聞く側の意欲が削がれてしまうのです。
〈教室ファシリテーション〉に限らず、AL型学習のほとんどすべてが、学習や発見に至る「過程」のすべてを共有化しているのは小集団グループのメンバーだけ、という特徴をもっています。〈ジグソー学習〉や〈ワールド・カフェ〉など、〈メンバー・シャッフル〉をシステム化している学習形態もありますが、それでも個々人にとってはすべてのグループに参加したという体験をもつわけではありません。ここに〈ハーヴェスト〉の、つまりAL型授業の最後の全体交流の難しさがあります。しかも、グループで交流していたときにはあんなに楽しく盛り上がり、次々に発見があったというのに、〈ハーヴェスト〉になった途端にそうした盛り上がりや発見が小さくなり、発表者がハイテンションすぎて引いてしまうとか「過程」の説明がよくわからないとかいうネガティヴ事象が出てきてしまう。これでは、〈ハーヴェスト〉が機能しないのも頷けます。
私は〈ハーヴェスト〉も交流したそのままのグループメンバーで、グラフィックを見ながらおしゃべりをするという〈ギャラリー・トーク〉を頻繁に用いるようになりました。「ああ、このグループはこういう過程からこういう見解を導き出したんだね。僕らと同じだ」「ああ、このグループは僕らが捨てたこのアイディアを採用したみたいだ」などと、AL型交流の雰囲気をそのまま〈ハーヴェスト〉にも持ち込むことができます。