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飢餓感

道徳の教科化が始まる以前の、ある道徳授業のセミナーでのことです。参加者が四十人ほどのセミナーでしたが、次年度からの道徳教科化に向けて、休日に、しかも安くない参加費を払ってまで集まっている熱心な参加者ばかりでした。

私は講座を次のように始めました。
「今日お集まりの皆さんは『ザ・道徳』とも言える皆さんですから、皆さんには簡単なことだと思いますが、まずは『道徳』を定義してみてください」

一瞬、会場は静まりかえりました。
「ああ、自分は定義も考えずに『道徳、道徳』と言ってた」
「定義も理解していないのに道徳の授業づくりをしようとしていた」
おそらく参加者は一瞬で、このようなネガティヴな感覚に囚われたのだと思います。それでいて「この問題を解決しないことには自分は道徳の授業ができない」「この問題を解決しないことには自分は前に進めない」「この問題を解決できないようでは自分は道徳を研究する資格がない」というような差し迫った感情に追い込まれたのだろうとも想像します。参加者はため息をつきかねない様子でノートに向かい始めました。なんとか自分なりの「道徳の定義」を創り出そうとだれもがその眼差しは鋭くなっていました。

それから数分が経って、参加者が自分なりの定義を生み出した頃、四人グループでの交流が始まりました。「四人でだれもが納得するような『道徳の定義』を創ってみてください」という指示でしたが、どのグループも「こういう要素も入れなくちゃいけないんじゃないか」「それは例外で定義のなかに入れるには無理があるんじゃないか」と熱心に議論し始めました。静かな、それでいて真剣な議論でした。

しかし、十分が経った頃でしょうか。参加者の目が輝き始めます。議論する目の光も大きくなってきています。なかには手を叩いてはじけるグループもあります。会場にも活気が出てきます。どうやら参加者の皆さんは何かを見つけ始めたようでした。

さて、このとき、参加者のなかには何が起こっていたのでしょうか。私なりに言葉にしてみると次のようになります。

自分なりに「道徳の定義」を考えてみた。四人向かい合ってそれぞれの見解を聞いてみると、やっぱりそれぞれの見解は大きく違う。どれもがそれなりに大切にしたいものが伝わってくる定義だ。だれもがネガティヴな思いから発祥しているから、自信があるわけではない。だから「道徳」の定義にはどんな要素が必要かという深い思考が生まれる。自分一人では解決できないから交流する必要感が生まれる。それも、強く生まれる。意見交換しているうちに連帯が生まれる。連帯の中で一応の結論が生まれるから最後はポジティヴになれる。そうした構造です。

AL授業の課題、つまり〈問い〉には二つの要素が必要です。

① 学習者をネガティヴな状況に追い込むこと
② 学習者の見解が割れること

「学習者の見解が割れること」は当然としても、①の「ネガティヴな状況に追い込む」というのは意外に思われるかもしれません。しかし、AL授業というものは冒頭で、学習者に解決すべき「問題」を提示しなければならないのです。人は「解決すべき問題」が目の前に現れるからこそ「解決しよう」とするものです。四人で話し合うとして、それぞれの見解が異なるというだけで「心の底から解決しよう」という意欲が湧くものでしょうか。一般には、「いやいや、あなたはそう思うのかもしれないが僕の見解の方が高次だよ」「いいえ、あなたが何と言おうと私はこう思うの」と思ってしまうのが、実は本当のところなのではないでしょうか。

実はALというものは、目の前に現れた「解決すべき問題」が「一人では解決することが難しい」と感じられたときに初めて起動するものなのです。「一人で解決することが難しい」からこそ、「他者と交流したい」と思うのです。他者と交流する必要性が生まれ、必然性が生まれるのです。この「〈ネガティヴィティ〉に追い込む」ということが意識されていないとしたら、あなたの授業は実はALを起動させていないのです。他者との交流の必然性を起動させていないのです。

AL授業は子どもたちが到達すべき〈答え〉を教師が用意する必要はありません。それを用意してしまい、そこに到達させようとした時点で、AL授業は失敗します。教師が強引にそこに到達させようとしていることが、雰囲気で子どもたちにも伝わってしまい、子どもたちが「先生の意図」を探ろうとし始めるからです。教師だけでなく、子どもたちにもまだまだ「一斉授業の亡霊」が巣くっていますから。しかし、〈答え〉は用意しなくても、教師が子どもたちを〈ネガティヴな状況〉に追い込み、「ああ、これは一人では解決できない」と〈他者との交流〉に対する「飢餓感」を醸成すれば良いのです。AL授業の成否は、この「飢餓感」の醸成に成功するか否かにかかっています。むしろこの「飢餓感」さえ醸成すれば、AL授業は必然的に起動するとさえ言えるのです。

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