ミニマム・エッセンシャルズ
後輩教師の「自己未来像」に寄り添うと言っても、いかなる教師も身につけなければならない「ミニマム・エッセンシャル技術」というものはあります。
例えば、「一時一事の原理」は学級経営であろうと授業づくりであろうと行事指導であろうと部活指導であろうと必ず必要な技術です。そればかりか研究発表する場合もPTAに対して話す場合も、職員会議で提案する場合にさえ必要な技術であると言えます。生徒指導における「事実確認の原理」や「即時対応の原理」なんていうのも、個々人の志向性に関わらず身につけなくてはならない技術です。
こうした基礎技術はどんな若者にも遠慮なく強制しなくてはなりません。子どもの前に立つうえで絶対的に必要な職能なのですから。たとえ嫌われても、うるさがられても、その若者の成長のためには必須なのです。そして何より、それを強制しないことは子どもたちに害を与えることにもなります。それは絶対に避けなくてはなりません。
そうした〈ミニマム・エッセンシャルズ〉をちゃんと知っている教師にしか、実は後輩教師を伸ばすということはできないのです。本書でも第二章で〈ミニマム・エッセンシャルズ〉について述べていきますが、詳細は拙著『学級経営10の原理・100の原則』『生徒指導10の原理・100の原則』(ともに学事出版)を御参照いただければ幸いです。
少し古い話になりますが、二○○五年のことです。僕は初めて小さな中学校の学年主任になりました。一年生三学級の学年運営を任されたわけです。札幌市中学校の学年主任は一組の担任をするのが通例です(学年主任が担任外になる地域が多いと思いますが、札幌市ではそのシステムを採っていません)。担任三人はみな三十代後半でそれなりに学級運営ができるのですが、副担任二人が新卒教師でした。高村克憲先生と齋藤大先生という二人の若者です。
小学校の先生にはわかりにくいと思いますが、副担任に教職経験者がいないというのは、中学校ではけっこうな負担です。中学校というのは学年の係が三学級分の運営をすべて担う仕組みになっていて、学活・道徳・総合係は指導案をつくって各担任に配付し、使う教材や教具も三学級分用意して機能するように準備しますし、生徒指導係は三学級すべての生徒指導事案に対応することになります。普通は担任が三人、副担任が二人の五人で学年組織が編制されれば、割と重い仕事が副担任二人に、割と軽い仕事が担任三人にと分担されます。それが副担任二人が新卒教師で一人で何かの係を任せるということができないものですから、学年結成から半年くらいはすべての仕事を担任三人で分担することになったわけです。
僕はこの間、常に僕の指導場面に二人を立ち会わせ、また僕の学級の細かな学級事務のすべてを実際にさせてみて、僕がつきっきりで助言するという指導方法を採りました。生徒指導場面での事実確認の仕方、各生徒の証言の突き合わせ方、生徒に中心的に話をさせる言葉がけの在り方、そうした段取りをすべて、なぜそのようにするのかまで含めて時間をかけて指導しました。当然、普通なら三十分で終わる生徒指導が一時間かかります。学級事務では通常の事務仕事はもちろん、保護者懇談の日程表の効率的な作り方とか、学活ワークシートの注意書きの書き方とかいった細かいところまで逐一指導しました。僕が一人で作れば五分で作れるプリントが一時間経っても完成しない、そんなことがたくさんありました。でも、ここで時間をかけておけば後に時間がかからなくなる、いまは仕方ないのだ、いまこそが時間と労力を使うべきときなのだと決意して指導し続けました。僕が三十歳を過ぎて以降で残業を厭わなかったのはこの年だけです。
結果、彼らは三ヶ月が経った頃、ほとんど手のかからない教師になっていました。生徒指導もそれなりにできるようになり、事務仕事も任せられるようになっていきました。高村先生はこの学年が二年生に上がるときに担任となり、スムーズな学年運営をして、一緒にこの学年を卒業生として送り出したほどです。僕は三年後にこの学校から転出しましたが、彼はその後二十代で学年主任を任されるまでになりました。齋藤先生もその後、校内で要職に就き、転勤後も若くして進路指導主事や学年主任を任されるに至っています。二人はいまも僕のサークルに所属していて頻繁に付き合いがあるのですが、いまでは僕が彼らの発想に学ばされることさえ珍しくありません。
なぜ、彼らはこんなにも急成長を遂げたのでしょうか。それを僕は、間違いなく僕が彼らに〈ミニマム・エッセンシャルズ〉を徹底指導したからだと考えています。僕も含めてですが、一般に教師は〈ミニマム・エッセンシャルズ〉を指導されることなく、自分の感覚でやってみて成功したり失敗したりしながら自分の教師としての「形」を作っていきます。若い頃は〈ミニマム・エッセンシャルズ〉よりも自分のイメージを先行させ、自分のやりたいことを優先しながら仕事をしていきます。しかし、かつて野口芳宏先生が頻繁に口にしていましたが、非凡な能力というものは平凡な事柄がそつなくできるようになって初めて開花するものなのです。
彼らもいつまでも〈ミニマム・エッセンシャルズ〉に満足していたわけではありません。いまでは、僕も驚くようなオリジナリティ溢れる実践を展開しています。もう自分が指導していた「タカムラ」や「大ちゃん」ではなく、僕がちゃんと敬意を感じるような「研究仲間」になっているのです。