「参加型」ということ
人は静的なものよりも動的なものに惹き付けられる。
静的なものが人を惹き付けないわけではないが、静的なものが人を惹き付けるには圧倒的な魅力が必要である。圧倒的な芸術性をもっていたり、圧倒的な問題提起性をもっていたり、圧倒的に流行を追っていたり、そうした「圧倒的な魅力」である。
中学生に圧倒的な芸術性を求めるのには無理がある。僕は最近、篠山紀信展で大原麗子の圧倒的な美しさに立ちすくんだ経験があるが、それはおそらく大原麗子本人でさえ意図的に醸すことは不可能な類の美しさであるはずだ。しかも撮影した篠山紀信にとってさえ、数百枚を撮影したなかの奇跡の一枚であったはずだ。圧倒的な芸術性とはおそらくそうしたものであろう。
圧倒的な問題提起性にも無理がある。そもそも新聞でさえ圧倒的な問題提起など年に数度しか示せない。全国的な話題が一つ現れると、新聞、テレビ、雑誌、すべてのマスコミがその話題一色になるのが常である。この事実は、それだけ新たな問題提起が難しいことを表している。中学生に求めるのがどだい無理な話である。
とすれば、やはり教室展示は静的なものを企画するのではなく、動的なものを企画するのが現実的である。
「動的」には二種類がある。企画者側が動くのを参観者側が静観する場合と、企画者側の働きかけに参観者側が動く場合とである。前者の多くは「見世物」を演じることになるし、後者の多くは「参加型イベント」ととなる。しかし、どうせつくるなら、企画者も動き、参観者も動く。そんな「見世物」の良さと「参加型イベント」の良さをミックスさせたい。そういう発想をもつのが良い。
例えば、学級展示で「ウォーリーを探せ!」を企画したとしよう。
(1)ウォーリーを探せ!
教室の四方にみんなで協力して、「ウォーリーを探せ!」を描く。ボール紙をたくさん用意して細かく細かく描く。20枚できれば教室の四方を埋め尽くすことができる。参観者は一所懸命に「ウォーリーを探せ!」に興じてくれるだろう。だれ一人「ウォーリー」を知らない人はいない。手間はかかるが予算はほとんどかからない。パネルを四枚ほど手配し、教室の中央に加えるのも良い。教室の四方に20枚、教室中央に8枚、これだけあれば見栄えもする。動線も確保でき、それなりに盛況となるはずだ。
例えば、生徒たちはこう考える。
しかし、この企画は手間の割には人を集められないのが普通だ。学校祭でわざわざ28枚もの「ウォーリーを探せ!」をやりたいと思う者はほとんどいない。確かにおもしろそうだからと一枚くらいには取り組むかもしれない。しかし、学校祭展示は他にもあるのである。ちょっと足を止めさせることはできるかもしれないが、長くそこに引き留めておくほどの魅力はない。
そもそも企画段階で、28枚もの「ウォーリーを探せ!」を描くことがどれほど大変な作業であるかということを生徒たちは想像できない。それだけの作業をしたにもかかわらず、参観者が足を止めてくれないのでは、頑張った分だけショックも大きくなる。やはり、この企画は「参加型イベント」の要素はもちながらも、まだまだ静的なのだ。
(2)六つのステージをクリアせよ
もう少し動的にするためには、教室を仕切ることだ。教室のドアのうち、片方だけを入り口専用とし、もう片方を出口専用とする。入り口からは簡単そうに見える「ウォーリーを探せ!」が一枚だけ廊下からも見えるようにしておく。それをクリアすると次の段階に進める、そういう仕掛けをつくるわけだ。もちろん、出口は廊下から見るとただ黒いだけ、何も見えない。ただし、そこからは全部クリアした参観者の満足げな笑顔が出てくるのが見える。これで先ほどの企画よりも、少しだけ廊下を歩く人たちの期待感を高めることができる。
例えば、六つのステージをクリアさせるとすれば、企画者側が描かなければならない「ウォーリーを探せ!」のボール紙は6枚に減る。しかも、この6枚は段階的に難しくしていくわけであるから、最初の1枚はごく簡単なもの、おそらくはウォーリーも含めて10人も描かれていれば充分である。6枚目は150人描かれているうちの12人くらいがウォーリーであれば良い。2~5枚目は6枚目に向かって段階的に細かく描いていくことになる。いわゆる「スモール・ステップ」を「ウォーリーを探せ!」に導入するわけである。
教室が仕切られ、次のステージが見えないことが参観者の期待感を高める。前のステージとの難易度の違いに簡単の声を漏らす。そういう楽しみが生まれる。作業は6枚を描くだけだから、費用対効果も充分だ。
六つのステージをクリアするのに平均5分かかるようにつくり、一つのステージには一人しか入れないとか、3人で協力して取り組むとかいうルールをつくれば、参観者の足は止まり始める。或いは一つ一つのステージに制限時間を設けるなどすれば、更に盛り上がるかもしれない。クリアした人に商品(例えば風船など)を出せば、それなりに人は集まるだろう。
(3) ウォーリーに参加せよ
更に動的にしていこう。入り口前にウォーリーに仮装した生徒を立たせる。いわゆる客引きだ。「こちらへどうぞ。おもしろいですよ。」と客引きをするのも良いが、5人くらいがストップモーションでポーズを決めて立っていて、そのうちの一人がウォーリー……なんてのもおもしろい。挑戦者のうち、第4ステージ以上をクリアできかった参観者は、この「廊下ウォーリー」に3分間参加子しなければならないという罰ゲームを課すのも良い。きっとお調子者の男子生徒たちが群がるだろう。わざと、第3ステージをクリアしないで、「廊下ウォーリー」に参加しようとする者まで現れるに違いない。
この「廊下ウォーリー」を1分に一度程度の割合でデジカメで撮影し、すぐにカラープリントして廊下に掲示していくと良い。きっと廊下に人だかりができるだろう。「廊下ウォーリー」に参加した人にはこの写真がプレゼントされるなんていう特典をつけてもおもしろい。
更に、出口廊下には等身大の「ウォーリー」の顔出し看板でもつくったらどうだろう。それも三つ程度つくる。しかし、だれもがそこから顔を出して記念撮影できるわけではない。六つのステージをクリアした参観者だけが撮影してもらえる特典なのだ。担任教師もウォーリーの恰好をして盛り上げる、担任教師もウォーリーの恰好をして一緒に記念撮影する、そのくらいのエンターテインメント性を担任が発揮すると、この学級展示はもはや完全に「参加型イベント」となっていくはずである。
展示を静的なものから動的なものへと発想を転換していくとは、例えばこのように発想を広げていくことを言う。