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残業

若い人ならともかく、ベテラン教師が残業が多いとか多忙で疲弊しているとか言うことに対して、僕はどうしても共感できないし、同情的にもなれない。

学校という職場は、ほとんど残業を強制されない。よほどのクレーマー保護者の対応でもない限り、残業が強制されることなんてない。しかも僕の経験から言って、クレームのためにクレームをつける保護者なんていうのもほとんどいない。少なくとも僕は一人も見たことがない。どんなクレーマーと呼ばれる保護者にも一理も二理もあるのが現実だ。クレームをつけられている教師にもまず間違いなく落ち度がある。それもけっこうな落ち度があるものだ。少なくとも僕はそういう事例しか見たことがない。

管理職や同僚が残業を強制することもまずない。多くは仕事のスキルが足りなくて仕事が遅いか、本人が人目を気にするあまり早く帰ることなく、残っているだけである。もちろん若い教師ならどちらも仕方ないと思う。でも、ベテランと呼ばれる教師がスキルを身につけていなかったり人目を気にしすぎるのだとしたら、これまで20年以上何をしていたのか…とも言いたくなる。少なくともそう言われても仕方ない隙がある。

僕は三十代半ばで原則として残業しないと決めた。そのために事務仕事を早く仕上げるスキルを身につけた。僕が早く帰ることを快く思わない同僚ももちろんいたけれど、気にしない気持ちの在り方を身につけた。文句を言われない程度の仕事の仕方と文句を言われたしても気にしない心のありようを身につけたわけだ。僕に言わせれば、あくまでそれは個人の努力で「できること」であるわけだ。

スキルを身につけることもなく、八方美人でいようとし続けておいて、総合的な力量を身につけることなく「強制された」と言うのはずるいと思う。スキルを身につけることも、嫌われる勇気をもつことも、可能な人には可能なのである。むしろ、こういうことを言いづらい世の中になっていることの方が僕には問題に思える。

もちろん過労死したり、心を病んだりという事例を見聞きすると気の毒だとは思う。一人の人間としては同情もする。同僚にそういう人がいればフォローもする。でも、一職業人としては共感もしないし同情もできない。むしろ僕がシンパシーを感じるのは子どもの保育所の送り迎えがあって申し訳なさそうに早めに帰って行く人たちや、家族の介護で心ならずも休みがちになるといった人たちである。それらは個人の努力では如何ともしがたいからだ。そうした人たちには笑顔で「気にしなくていいんだよ」と言ってあげたくなる。

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